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「神道」と「仏教」の両方に関係の深い奈良(前編)

2020年09月27日 | 日本
(奈良の鹿には仏教的なルーツがある)
今回は「日本建国の原点」というテーマで述べていきます。
奈良県の橿原(かしはら)は、“日本の右翼の総本山”というか、“日本の保守本流の総本山”に当たるところです。

奈良は東大寺を中心に興隆(こうりゅう)した奈良仏教の聖地で、有名な大仏が鎮座(ちんざ)していますので、安心できる場所です。また、鹿(しか)も数多く繁殖(はんしょく)しており、境内(けいだい)を護(まも)ってくれているように感じます。

ちなみに、他県の人は知らないかもしれませんが、地元の人で、奈良に鹿がいる理由を知らない人はいないでしょう。

釈尊(しゃくそん)が成道(じょうどう)したあと、最初に説法をしたのはサールナートというところですが、そこには当時、つまり、二千数百年前には鹿がたくさんいたため、「鹿野苑(ろくやおん)」と漢訳されています。

また、近年は鹿がいなかったらしいのですが、今は、観光客が来るので、インドのほうも鹿を飼っている状態です。そういう意味で、奈良にも鹿がいるのでしょう(注。奈良公園に隣接する春日大社の神使(しんし)が鹿であることからも、鹿が保護されている)。

いずれにしても、釈尊が“鹿の苑(その)”で数人を相手に説法したところから仏教が始まっています。それが仏教における*初転法輪(しょてんぼうりん)なのです。

ネット動画で見かけましたが、鹿がお店の入口に立ち、自動ドアが開いたのですが、鹿はお店に入らず、その場所で2回ほど頭を下げていました。小鹿も寄ってきたのですが、同じように頭を下げていました。何か食べ物をおねだりしていたのだと思いますが、ネットでは礼儀(れいぎ)正しすぎると感心していました。

もう一つのネット動画では、横断歩道の手前で、立ち止まっていた鹿が、車が何台か通ったあと、1台の車が停止して、その鹿を渡らせました。すると、その鹿は車が停まったことを確認したあと、ゆっくりと横断歩道を渡りました。そして、横断歩道の真ん中ぐらいに差しかかったときに、頭をぺこりと下げたのでした。それを見た人々はこれまた“礼儀正しい”と感動していました。

鹿が車道脇の通行人用の道を、平気でたくさん群れをなして歩いているのを見たことがあります。「この周りは、“鹿権(しかけん)”、つまり、鹿の権力が増しているらしい」ということを感じました。彼らは危険を感じていないらしく、堂々と歩いていたので、あれだと、インドの牛並みの偉(えら)さにみえます。鹿がすごく威張(いば)っている感じですが、彼らも人々から信仰(しんこう)を受けているのを感じているのかもしれません。

(神と仏の両方が存在する地である橿原)
さて、奈良・橿原では、いわゆる「神仏」というか、神と仏が両方いる感じがして、よいのです。神様もいるけれども大仏様もいるということで、「神と仏、どちらかにしてくれ」と言われても、「両方いるのでしかたがないではないですか」というところでしょう。

ただ、「神仏」を英語に訳すと、“God(ゴッド) or(オア) Buddha(ブッダ)”ということになって、少しややこしくなります。“or”だと、「どちらか」という意味になるので、本当に困るのですが、“God and(アンド) Buddha”とはならないので、難しいところです。

ともあれ、奈良は本当によいところだと思います。大仏もあるし、初代天皇である神武即位(じんむそくい)の場所でもあり、霊的(れいてき)には、日本の中心地帯と目(もく)されるところでしょう。

東京からの場合、今は若干(じゃっかん)、時間がかかりますが、リニアモーターカーを引く際には、東京から山梨を経由して名古屋へ行き、次に三重に入って、奈良のほうから大阪に抜けるようなルートがつくられるらしいので、場合によっては、もっと便利になるのではないでしょうか。橿原が再び日本の中心へと戻ってくる可能性もないわけではないと思っています。

---owari---
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