このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

ねじ曲げられ、失われつつある日本の建国神話(後編)

2020年07月23日 | 日本
(「学問とは言えない諸説」がまかり通っている日本の歴史)
『古事記』『日本書紀』に関連した書物を幾(いく)つか読んでみたのですが、学問とは言えないSFまがいの諸説がまかり通っていたので、少しあきれ返りました。

例えば、「天照大神が卑弥呼(ひみこ)だった」というぐらいなら、まだ、“かわいい”ほうで、「神功皇后(じんぐうこうごう)だった」とか「天智(てんち)天皇だった」という説が出てくるのです。

さらには、「持統(じとう)天皇だった」という話まで出てきます。持統天皇の時代のあとぐらいに、『古事記』が成立していますから、「持統天皇を神格化するために、天照大神を創作した」というわけです。

このように、日本の歴史が西暦七、八世紀ぐらいから始まったような書き方をしているものもあるので、驚(おどろ)きを禁じえませんでした。

それから、NHKブックスのある本を読んでいたら、「聖徳太子はいなかった」とはっきり書いてあったので、「“すごい”なあ。よくやるなあ」と驚きました。NHKを「国営放送」といわなくなっただけのことはあります。

聖徳太子の肖像画(しょうぞうが)が一万円札から消えたのが“運の尽(つ)き”で、肖像画が福沢諭吉(ふくざわゆきち)に替わると、あっという間にそうなったのです。神様をあまり信じておらず、「御神体(ごしんたい)の石ころを取り換えても、罰(ばち)が当たらなかった」と言っていた福沢諭吉に替わったあとは、こんな状況になってしまったわけです。

しかし、聖徳太子ほど、実在した証拠がたくさんある人はめったにいないのです。聖徳太子については、妻や子供の名前、行った仕事なども、全部、史料として遺(のこ)っていますし、「誰の子供か」ということまで書いてあります。それで、「聖徳太子がいなかった」と述べているのですから、なかなか“すごい”です。「書いてあるものでも信じない」という時代に入っているわけです。

そこには、「古代にそんな立派な日本人がいてたまるか」という気持ちが入っています。「古代の人は野蛮(やばん)な原始人でなければいけない。古代に立派な国家があり、立派な人が出現しているのは許せない」と思って、戦後、「ずっと原始的だった民族が、第二次大戦の敗戦によって、やっと近代化して民主主義の国家になり、欧米並(おうべいな)みになった」という考え方を押しつけようとしたのでしょう。

それに歴史学が見事に屈(くっ)しているわけですが、ここまで来ると、私もさすがに腹が立ってきます。


---owari---
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ねじ曲げられ、失われつつあ... | トップ | 神代の時代の天皇たちは実在... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事