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ねじ曲げられ、失われつつある日本の建国神話(中編)

2020年07月22日 | 日本
(「証拠があるもの以外は信じない」という態度の、現在の歴史観)
「自らがつくった文明・文化を否定して、現在ただいまに証拠(しょうこ)があるもの以外は信じない」という態度は、非常に情けないことであると思います。それは、どこかに占領(せんりょう)され、統治(とうち)されたかのような歴史観でしょう。

もちろん、第二次大戦の敗戦以降、占領軍の意向で神話教育が廃止(はいし)されたのでしょうが、私の記憶では、木造の家がほとんどであったころには、まだ各家庭に神棚(かみだな)がありました。小さな神棚であっても、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀(まつ)っていたと思います。

ところが、昭和四十年代に、鉄筋コンクリートや鉄骨の家に建て替わっていったあたりから、神棚が消えていった記憶があります。昔は、どこの家でも神棚がありました。居間に行けば、神棚が必ずあったのですが、それが消えていったわけです。マンションなどの場合、風情が合わなくなってくることもあるからでしょう。

私の実家を振り返ってみると、小さな家でしたが、木造から鉄筋に建て替えたのは、1972年前後だったと思います。それ以前は、狭(せま)いながらも、居間で父親が座る場所の後ろには、天照大神の神棚がありました。しかし、鉄筋に建て替わったときには、神棚はなくなっていました。設計の段階で、そういうものがなくなっていたのです。

ほかの家も、おそらく似たような状況ではないでしょうか。当時、仏壇(ぶつだん)を持っている方もいましたが、今は仏壇もだんだんなくなってきていると思います。家が狭いことも理由の一つではあるのでしょうが、やはり、「歴史観」の影響(えいきょう)がかなり大きいと思うのです。

また、私の小学校時代には、図書館では挿絵(さしえ)付きの本で『古事記』などの物語を読むことができましたが、現代の子供たちが、それを読んでいるかどうかは非常に疑問です。

歴史の教科書を読むと、貝塚や石器、土器の話があり、次に古墳が出てきて、律令制国家まで来るわけですが、いかにも、「古代の日本人は原始人だった」という意識を植えつけるような内容です。

要するに、「証拠がないものは認めない」「非科学的なものは認めない」「霊(れい)のような非論理的なものは認めない」というわけです。それは、まるで「ガリレオ」(以前のテレビドラマ)で聞いたような言葉です。

---owari---
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