(神話のなかにある「象徴的な意味」を受け取ることが大事)
やはり、「民族の誇(ほこ)り」を失ってはいけないと思います。
その誇りは「歴史」にありますし、歴史のもとには「神話」がありますが、別に神話がおかしいわけではないのです。ギリシャであろうと、中東であろうと、インドであろうと、アフリカであろうと、歴史には神話の部分があるのです。
神話の部分は、年代が特定しにくいのですが、きちんと伝承があって成り立っているものです。もしかしたら、千年が「百年」になっていることもあるかもしれませんが、確かに、「ある人が存在して、何かを成した」という歴史であると思いますし、「人々の印象に、とても強く残る出来事があった」ということでしょう。
神話をそのとおりには受け取れないかもしれませんが、そのなかに書かれているものには象徴(しょうちょう)的な意味があるので、その意味合いを受け取ることが大事であるわけです。
例えば、昔から、「出雲(いずも)大社(たいしゃ)には、ものすごく高い社(やしろ)があった」という伝承があります。しかし、現在、遺(のこ)っているものがあまり高くないので、「これは神話だろう」と思われていたのですが、敷地を掘り起こしてみると、大きな柱の跡(あと)がたくさん出てきたのです。それから推測すると、社はものすごく高くなります。五十メートルぐらいの高さの社があったらしいのです。
神話には、「大和(やまと)政権に出雲地方の支配権を譲(ゆず)るけれども(国譲り)、『大国主(おおくにぬしの)命(みこと)の神殿(しんでん)だけは高いものをつくらせてくれ』というお願いをした」というようなことが書いてあるのですが、「それは本当だった」という証拠(しょうこ)が、実際にあとから出てきたわけです。
ですから、日本の神話をあまりバカにしてはいけないのです。
---owari---
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