このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

平和の架け橋

2022年01月24日 | 日本
(皇后様のご講演)
平成10年9月21日、皇后様はインド・ニューデリーで開催されたIBBY(国際児童図書評議会)世界大会で、ビデオにより「子供時代の読書の思い出」と題する英語での53分間にわたるご講演をされた。当日、会場にいたJBBY(日本国際児童図書評議会)の猪熊葉子会長は、その時の様子を次のように語った。

ビデオ終了直後から万雷の拍手が鳴りやみませんでした。皆様、大変に感動なさって「あなたがたは、素晴らしいエンプレス(皇后陛下)をお持ちだ」と周囲の人から何度も言われました。

この御講演について、文芸評論家・東京大学名誉教授の佐伯彰一氏は次のように評している。
格別にお声を高められることもなく、むしろ淡々と、落ち着いた平語調で、いわば古代以来の「やまと心」を外国の聴衆に語りかけ、訴えかけられた。これは、戦後のわが国の文化史、思想史の一つの「事件」とさえ呼びたい気がするのだ。

(自分と周囲との間に橋をかける)
皇后様がご講演をされるきっかけとなったのは、平成6年にIBBYが授与するアンデルセン賞を、日本人ではじめて詩人の、まど・みちお氏が受賞した事である。まど氏の詩を美しい英語に訳して世界に紹介されたのが、皇后様だった。今回はそのご功績が讃えられて、講演依頼があった、という次第である。

50分以上ものお話なので、ここでは国際派日本人に参考になる部分のみ、紹介させていただく。そのキーワードは、次の一節に見られる「橋」であろう。

生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きていきます。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います。

子供の成長の過程だけではなく、我々が外国の人々との理解を深めていく場合も、同じ事が言えよう。

この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います。

異国で長く生活していると、本当の自分とは何者だろうか、と考えるようになるものである。そこから自分探しの旅が始まる。その本当の自分とは、どこを探したら良いのか? 皇后様はご自身の体験を語る。

(根っこと翼)
一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。

父がくれた神話伝承の本は、私に、個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。本というものは、時に子供に安定の根を与え、時にどこでも飛んでいける翼を与えてくれるものです。(中略)

他者との間に橋を架けようと思ったら、こちら側にしっかりと根を下ろし、そして向こう岸に飛んでいける翼がなければならない。

(この本との出会いは)その後私が異国を知ろうとする時に、何よりもまず、その国の物語を知りたいと思うきっかけを作ってくれました。私にとり、フィンランドは第一にカレワラの国であり、アイルランドはオシーンやリヤの子供達の国、インドはラマヤナやジャータカの国、メキシコはポポル・プフの国です。

二、三十年程前から、「国際化」「地球化」という言葉をよく聞くようになりました。しかしこうしたことは、ごく初歩的な形で、もう何十年-もしかしたら百年以上も前から-子供の世界では本を通じ、ゆるやかに始まっていたといえないでしょうか。(中略)

遠く離れた世界のあちこちの国で、子供達はもう何年も何年も前から、同じ物語を共有し、同じ物語の主人公に親しんできたのです。

この国際化イメージをよく味わってもらいたい。それは皆同じような「国際人」という根無し草になるのではなく、それぞれが自分の根っこを持ちながら、相手の根っこを表した物語を読み、それを翼にして、橋を架けあうという光景である。

(愛と犠牲と)
しっかりした橋を架けるには、それだけ自分の側にしっかりとした「根っこ」を持たなければならない。皇后様はご自身の子供の頃の経験を語られる。

父のくれた古代の物語の中で、一つ忘れられない話がありました。
年代の確定出来ない、六世紀以前の一人の皇子の物語です。倭建御子(やまとたけるのみこ)と呼ばれるこの皇子は、父天皇の命令を受け、遠隔の反乱の地に赴いては、これを平定して凱旋するのですが、あたかもその皇子の力を恐れているかのように、天皇は新たな任務を命じ、皇子に平穏な休息を与えません。悲しい心を抱き、皇子は結局はこれが最後となる遠征に出かけます。

途中、海が荒れ、皇子の船は航路を閉ざされます。この時、付き添っていた后、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)は自分が海に入り海神のいかりを鎮めるので、皇子はその使命を遂行し復奏してほしい、と云い、入水し、皇子の船を目的地に向かわせます。この時、弟橘は、美しい別れの歌を歌います。

さねさし相武(さがむ)の小野(をの)に燃ゆる火の火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも

このしばらく前、建(たける)と弟橘(おとたちばな)とは、広い枯れ野を通っていた時に、敵の謀(はかりごと)に会って草に火を放たれ、燃える火に追われて逃げまどい、九死に一生を得たのでした。弟橘の歌は、「あの時、燃えさかる火の中で、私の安否を気遣って下さった君よ」という、危急の折に皇子の示した、優しい庇護の気遣いに対する感謝の気持を歌ったものです。

悲しい「いけにえ」の物語は、それまでも幾つかは知っていました。しかし、この物語の犠牲は、少し違っていました。弟橘の言動には、何と表現したらよいか、建と任務を分かち合うような、どこか意志的なものが感じられ、弟橘の歌は(中略)あまりにも美しいものに思われました。

「いけにえ」という酷(むご)い運命を、進んで自らに受け入れながら、恐らくはこれまでの人生で、最も愛と感謝に満たされた瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に、強い衝撃を受けました。はっきりとした言葉にならないまでも、愛と犠牲という二つのものが、私の中で最も近いものとして、むしろ一つのものとして感じられた、不思議な経験であったと思います。

この物語は、その美しさの故に私を深くひきつけましたが、同時に、説明のつかない不安感で威圧するものでもありました。(中略) 今思うと、それは愛というものが、時として過酷な形をとるものなのかも知れないという、やはり先に述べた愛と犠牲の不可分性への、恐れであり、畏怖であったように思います。

(複雑さに耐える生き方)
古事記の一節である。弟橘の生き方は、悲しみを背負いながらも、自らの運命に直面していく素直な雄々しさに満ちている。これは万葉集中の防人(さきもり)の歌や、日露戦争を戦った将兵とその家族の生き方にもつながるものである。そしてそれは皇后様ご自身の「根っこ」となって、たゆみなく皇室のつとめを果たされる生き方を支えているのであろう。

読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。

ちょっとした我慢ができずに、すぐキレて、犯罪を犯す子供達、口先だけで国際平和を唱えていれば、それが実現すると思っている大人達。人生の複雑さに耐えられない子供や大人が多い。

この輻輳(ふくそう:ものが一か所に集中して混雑している状態)する国際社会で、真の平和と友好を実現しようと思ったら、我々はその複雑さに耐えつつ、自らの「根っこ」を見つけ、翼を鍛えて、相手の「根っこ」まで辛抱強く橋を架けていかなければならない。

これはそのまま本講座での「国際派日本人」の理想像でもある。 
そういう青年達が育つことを皇后様は願われているのである。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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