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仁(じん:おもいやり。いつくしみ)

2022年01月23日 | 日本
現代の日本人で国際社会から最も尊敬を受けているのは今上陛下であろう。陛下は国際派日本人の最高のモデルである(平成9年11月22日)。

(スペイン駐日大使より:パイプオルガンの修復)
平成2年、今上陛下の御即位に際して、世界各国の駐日大使が祝辞を寄せたが、その中で、スペインのアントニオ・オヤサバル大使のメッセージは、儀礼的な挨拶もなく、いきなり次のようなエピソードで始まっている。いかにもこれだけは言っておきたいという感じだ。以下はその全文である。

1985年(昭和60年)、さる高名な伝統的パイプオルガンの製作・修復技術者の妻である白川町(註・岐阜県加茂郡)の辻紀子さんが、現在の天皇・皇后両陛下、当時は皇太子殿下ご夫妻に、スぺインのサラマンカの大聖堂のメインオルガンの修復をお願い申し上げました。そのオルガンはこれ以上放置すればもはや修理不可能なほど老朽化していました。両陛下は即座にこれに応えられて、前スペイン大使林屋氏に在スぺイン日系企業の間で基金を募り、また修復作業の許可をスぺインの当局から得るように依頼されました。

辻夫妻の2年にわたる懸命な修復作業の結果、パイプオルガンは全盛期の姿に復元され、それを記念して、去る3月25日、岐阜県知事梶原拓氏やサラマンカのすべての地域や教会の著名人列席のもと、林佑子氏とモンストスクラット・トレンジさんらによる荘重なコンサートが開かれました。それはこのスペインの美しい中世風の街を背景として、スぺイン―日本間の友好を象徴する荘厳な行事でした。

人も国家も自分の身のまわりのことにしか関心を持たない昨今の風潮のなかで、両陛下が遥か異国の芸術作品の救済に乗り出されたことは、まことに稀有な行ないであると思われます。両陛下はこうした文化財を、国境を超えた人類共通の遺産であると考えられていらっしゃるのでしょう。

(インド駐日大使より:インド人の福祉事業家)
また、インドのA.G.アスラニ駐日大使は祝辞の中で、次のようなエピソードを紹介されている。

昨年、78歳になる引退したインド人の魚類学者が私の所に手紙を寄こしました。私にはまったく面識がありませんでしたが、彼はアメリカから帰国する途中、東京で数日を過ごす予定だが、その際に天皇陛下に拝謁を賜るだろうとのことでした。彼は小児マヒのために車椅子や松葉杖を手離せない生活をしていました。この比較的無名の老人が果たして本当に拝謁を賜ることができるのかどうか私には確信が持てませんでした。

彼が拝謁を終えて私の所に来た時は、まさにうれしい驚きでした。彼の学問的業績と福祉事業に陛下は興味を示されたというのです。 この老人は現在インドで小児マヒの人々のための養護院を経営していますが、この時に陛下の特別のおはからいで、何人かの日本の身体障害者の訓練をする機会を得られたそうです。

(善意のうずを生み出す仁慈)
読者諸兄は、この二つのエピソードが共通した構造を持っていることに気がつかれたであろうか。
  1)オルガン修復や、福祉事業を志す人々を見つけられる。
  2)その善意に力添えするよう関係者に依頼される。
  3)依頼された側は、善意で協力をする。

こうして一つの善意が、陛下のご助力で、他の人の善意を引き起こす。まさに善意の「うずまき」が生じているのである。

善意を発揮して、世のため人の為にするのが、人間の最高の自己実現であるとすれば、その善意を引き出す陛下の行いは、最高の仁慈(じんじ:いつくしみ)であると言える。

[日本のチャオ・ファー・チャイ(皇太子)が持ってきてくれた「仁魚」]
今上陛下は皇太子時代、昭和39年に訪問されたタイで、山奥の苗(ビョウ)族のタンパク質不足の問題をタイ国王からお聞きになり、魚類学者としてのご研究から、飼育の容易なティラピアという魚50尾を国王に贈られた。

この魚はタイ国内でさかんに養殖され、国民の栄養状態改善に貢献するばかりでなく、1973年にはバングラデシュへの食料支援として50万尾も贈られたという。

陛下の仁慈は、タイの人々を助けたばかりでなく、さらにタイ国民がバングラデシュ国民を助けるという善意を生み出したと言える。

ある日本人は、魚市場でタイ人から、「この魚は、日本のチャオ・ファー・チャイ(皇太子)が持ってきてくれたんだ」と聞かされたそうである。

この魚の漢字名は「仁魚」という。華僑系市民がこの話に感動して、陛下のお名前(明仁)をとって命名した由である。

(皇室の伝統的精神)
「仁」は、今上陛下だけではない。昭和天皇(裕仁)、大正天皇(嘉仁)、明治天皇(睦仁)と続く。仁慈の御心(これを古くは「大御心」と呼んだ)で国民の安寧を祈られるのは、皇室の伝統的な精神であった。

だからこそ、中世以降、権力も武力も持たない皇室が、多くの国民の努力によって支えられてきたのである。

冒頭のスペインとインドのエピソードを見ると、グローバル化の時代にふさわしく、皇室の仁慈は今や国境を越えて、世界の人々にも及んでいる。

このような皇室を現行憲法は、その第一条に「国民統合の象徴」として掲げている。憲法の原文を書いた米国占領軍スタッフは気がつかなかったであろうが、そこには我が国の歴史伝統が生み出した気高い理想が潜んでいるのではないか。それを明らかにするのは、これからの国際派日本人の課題である。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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