夫婦には深い縁があります。よく「三世の縁」と言われますが、魂の真実を知ったならば、「夫婦は深いところで結ばれている」ということが分かるでしょう。
「偶然にこの世に生まれ、偶然に結婚し、偶然に子供をもうけ、偶然に数十年の人生を歩む」ということは、ありえないことです。「何千万人もの相手のなかから唯一の人を選ぶ」ということは、偶然ではありえないことなのです。
「人類の大多数は数百年おきに転生している」という事実を知れば、自分が伴侶として選ぶ人は、過去の幾転生のなかでも伴侶だった相手である場合が多いことが分かるはずです。
それは当然のことです。今世、生を享けて生きていくにあたって、「過去、うまくいった人、うまの合った人と、また家庭を持とう」と思うことは、ごくごく自然な感情でしょう。
したがって、夫婦は、「今世、素晴らしい家庭を営み、来世でもまた夫婦となる」ということを夢見て、理想家庭の建設に邁進することです。それこそ、今世の素晴らしいロマンだと言えます。
また、親子の縁も非常に深いものがあります。親子の関係も、偶然にできることは、まれなのです。
親の立場からすれば、「出来のよい子供は、自分との縁で生まれたが、出来の悪い子供は、何かの間違いで生まれたのだ」と思いがちですが、そうではありません。
親子の縁のなかにも、魂の教育が織り込まれています。家庭という問題集を解くために、親子の縁は設定されているのです。
そのため、親が子供のことで苦しんだとしても、それもまた魂の問題集のなかの問題であることを忘れてはなりません。その子供は、自分が選んで子供とした魂であり、必ず自分に縁のある子供なのです。
親が子供を育てるなかには、一つの重大な教訓が潜んでいます。それは何かといえば、「親は、子供のなかに、自分の分身、自分の似姿を見る」ということです。
それによって、親は、さまざまなことについて身につまされ、子供のときの自己を振り返って、自分の性格がどういうものなのかを知ることができます。子は親の鏡であり、親は、子の姿を見るにつけ、自分自身のことが反省されなくてはならないのです。
また、親にとって、子供は、自分の叶えられなかった夢を叶えてくれる、とても大切な“希望の木”でもあります。そのようにして、親子代々、連綿とロマンが語り継がれていくのです。
---owari---
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