仏教は悟りを求める宗教だ。
数多くの僧侶や尼たちが、仏の悟りを求めて、二千五百年以上修行に励んできた。
そのうち誰か一人でも仏陀の悟りに到達したか。
歴史上の高僧、名僧は多いが、
残念ながら、庶民の多数決では、その悟りを認定できない。
ある者は、仏の悟りを、哲学的抽象論に変えた。
ある者は、仏の悟りを、無神論的唯物論に変えた。
ある者は、仏の悟りを、天狗の自己実現に変えた。
ある者は、各人に仏性があるなら、生まれながらに仏だと説いた。
ある者は、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで成仏できると言い、
仏の真似をして座禅するだけでいいと言う者も出た。
一休禅師のように、風狂の士であることを悟っていると誤解する者も出た。
「南無妙法蓮華経」と百万遍唱えよ、と、述べる者も出た。
何かおかしい。
どこかが間違っている。
釈尊は、肉体煩悩を滅却しようとして、断食したが悟れなかった。
中道に入り智慧を得るとは、反省的瞑想を日課にすることによって、
心の垢や塵を払い、天上界と同通することだった。
欲望や単なる自己実現願望が、霊能力と一体となることで、
即身成仏はできないのだ。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます