「上手に子育てをして、孝行息子、孝行娘をつくっておく」ということは、晩年成功のための大きな秘訣です。
ただし、全員が全員、いいようには育ちません。確率は、半分ぐらいです。「二人生んだとしたら、一人は親不孝者で、一人は親孝行者」というのが、だいたい普通です。ですから、一人しか生んでいない場合は、「百パーセント・オア・ゼロパーセント」、「オール・オア・ナッシング」になる可能性があり、“賭け”になります。
しかし、二人いれば、「どちらかが悪ければ、どちらかがよくなる」というようになることも多いので、一人でも親孝行の子供がいたら、それが息子であっても娘であっても、非常に幸運なことです。晩年、孝行息子や孝行娘が一人でも残ったら儲けものであり、ありがたいことなのです。これは、教育の仕方によるでしょう。
では、どういう人が子供として望ましいかというと、親からすれば、本当にささやかなつまらない行為だったのに、子供のほうは、「どれを取っても大切に扱ってくれた」と、恩に着るような気持になっている人です。
小さいころや子供時代に経験したことは美化しやすいので、「親にずいぶんお世話になったなあ。本当に、親孝行しなければいけないな」という気持ちが、自然に湧いてくるように育てることができれば成功です。
一方で、親のほうから、「おまえのために大変だったんだ」というようなことを恩着せがましく言うと、だいたい子供は寄りつかなくなり、だんだん逃げていくようになります。
これは、ほとんど法則と言えるでしょう。子供に対して、「おまえのために、自分がいかに大変だったか」ということを言うと、寄ってこなくなります。たいてい、悪口を言われるか、逃げられるか、何かほかの価値観のほうに惹かれていくようになるのです。
これは、今から百年以上も前に、二宮尊徳先生が言われているとおりであり、「たらいのなかの水は、手前に引こうとすれば逃げていく。向こうに押すと返ってくる」というようなことを、たとえ話として言っています。
「水は、こちらに引き寄せると逃げていき、向こうへ押すと返ってくるもの」というのは、つまり、「与えきりのつもりであげると戻ってくるが、『元を取ってやろう』と思って頑張ると、逃げていく」ということであり、こういう法則が、親子の関係でも成り立つわけです。
このあたりについては、やはり、人生の有段者としての智慧が必要なのではないかと思います。
恩着せがましく言われても、それを気持ちよく感じ、そのとおりだと思って納得して、自然体で「親孝行したい」と思う人は、今の時代、それほどいるものではありません。
逆に、「あんなのは大したことではなかったよ。育てるのは楽しみだったし、自分も、それが幸福だったよ」というように言ってくれる親のほうが、子供としては、親孝行したくなる気分になることが多いのです。このあたりのことを、しっかり知っておいたほうがよいでしょう。
---owari---