今の日本には、ものごとを数字でないと表現できない人や、who when where whyでしか表現できない人たちが増えています。
それも教育レベルの低下のせいでしょう。たとえば作文の授業では、まず五つのWとHを書けと教えられました。「いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)」です。
その結果、子どもたちが書く文章がすっかり固定観念に嵌(はま)ってしまったものになっています。
新聞記者だって同じです。上役が「これがないぞ、Whereが落ちとるぞ」と指摘する。そのとき「Whereなんてどこでもいいんじゃないの。一番大事なことはWhoなんだ」とか反論する人は出世しない。それでは、型に嵌った新聞記事しか書けなくなるのも当然でしょう。
だいたい、アメリカの大学に行って、そんな型に嵌ったレポートを書いたら、落第します。もっとユニークなことを書けと言われるでしょうし、「ユニークなことってなんですか」などと質問したら、バカと言われます。
およそレポートなんて、自分の思った通りに書けばたいていユニークなものになるものです。それにもかかわらず周囲のことばかり気にしているから、ろくなものが書けないのです。いい点を取って奨学金をもらいたいとか、いい成績を取っていい会社に入社したいなんて考えるから、自由な発想がわいてこない。つまり、成果を上げるためのテクニックばかりに目が向いて、自分らしい発想ができなくなっているのです。
余計なことを考えなければもっと自由に書けるはずです。日本人なら必ず何か出てくる。それが向こうから見ればユニークなんですよ。
(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)
---owari---
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