(自由度が増すと、「創造性」は高まるが「堕落(だらく)」もしやすい)
「生徒の自由度」が増していたほうが、創造性の高い人はやや出やすいものの、そこには、「創造性の高さ」と「堕落(だらく)しやすさ」の両方があるのです。
管理教育がキチッとしていて、方針などがカチカチッと決まっているところでは、失敗は出にくいでしょう。生徒はいわゆる優等生になって、上席にある者、上司や先輩(せんぱい)などの期待に応(こた)えていこうとする傾向があるのです。
ところが、そういう人は、「上から“課題”を出されずに、『おまえが頭で考えてやれ』と言われると、成果を出しにくいタイプに育ちやすい」ということが見えてはいます。
彼らは、「学校が決めている基本的な方針を守っているうちは、優等生でいられる」というように、枠(わく)がある間(あいだ)は行けたとしても、それがなくなったとき、つまり、大学に進学したとき、あるいは社会に出たとき、いったいどうしたらよいのか分からなくて苦労する人もいるらしいのです。
そういう意味では、どうしても、「完全にこうすれば、全体がこうなる」とは言いかねる面があります。失敗した人は、「全体が悪かった」という言い方をするし、成功すれば、「全体がよかった」という言い方をするわけです。
なお、社会的観察としては、「その学校の卒業生たちが、おおむね、どのような感じになっているか」を見ればよいでしょう。
例えば、都会の学校についても、「こんな傾向の学校だ」という印象は、田舎(いなか)から見ても分かりますし、それは、大きな意味であまり外れていないということも事実です。そういう社会的印象は、ある程度、当たっているらしいとは言えるのです。
---owari---
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