(「軍隊型」と「自由放任型」の対照的な二つの進学校)
「大多数の合意のなかで、ルールを守っていく」ということは道徳で教える大切なことです。一方、「ルールを守っていたら、新しい価値はつくれない」という意見もあるわけです。そういう、「社会的秩序を守る」ということと、「新しいものを創造していく。常識を打ち破っていく」ということの関係性を考えてみましょう。
学校を念頭において考えてみます。そうした管理社会のなかで教育をしている場合、管理者は、ある程度の少人数で大勢の人たちを動かさなければなりません。そういう難しさがあるため、生徒の自由を奪っていくような方針を立てていくことが多いだろうと思うのです。
ただ、いわゆる進学校のなかにも、キチッと軍隊型の教育をするところもあれば、「君たちは、もう大人なのだから」という感じで、中学生でも大学生のように扱い、自由に任せるところもあります。
なお、「どちらの育ち方がよいか」については、「それぞれの卒業生が、その後、どうなるか」によって違いは出るでしょう。
例えば、代表的な学校を挙げると、「学校側がキチッと管理体制を組み、全体的に成果を出していく」とされている学校に、開成(かいせい)(中学校・高等学校)があります。開成は、もともと“軍隊型”で、そういう傾向があるのです。
一方、中学生になったあたりで、「君たちの自由に任(まか)せる」というように“大学生扱い”するのは、麻布(あざぶ)(中学校・高等学校)です。
開成型の場合、もともと、陸軍士官学校の予備校のようなところからできているので、「学校の方針どおりについてくればよいのだ」というかたちで、みなにキチッと制服を着させてやらせる感じでした。そういう教育を受けて成功した人は、「それでよかったのだ」と思っているのでしょう。
ところが、それで成功しなかった人のなかには、「学校の方針だけで、ただ奴隷(どれい)のようについていったのは失敗だったのではないか。もう少し自由に、自分のテイストに合った勉強の仕方や活動、クラブなど、いろいろあってもよかったのではないか」と思う人もいるらしいのです。
一方、麻布型の場合、生徒の自由に任されているわけですが、適度に遊びながらも、ある程度、自分で自分を律しつつ、きちんと目的を達成していくだけの自立心がある人は、成功しています。
ところが、学校のほうが“緩(ゆる)い”ため、六年間いても、自分の成績がどのくらいなのか、さっぱり分からないままに卒業できる学校でもあるらしく、「自分が学年ビリだとは知らなかった」という状態で卒業する人もいるらしいのです。
とにかく、それでも卒業はできるようなのですが、「卒業してから三年ぐらい延々と、いろいろな塾や予備校で勉強し、『まさか、そんな進学校から行くべきではないだろう』と思うような学校にやっと滑(すべ)り込(こ)むという程度の結果になる場合もある」とも聞いています。「自分が、在学中に、そこまでえぐれていたとは知らなかった」という人もいるとのことです。
このように、「結果がよければ、全部よかった」と見えることもあるとは思いますが、反対もありうるということでしょう。
たまたま、「その子にとってはこちらの学校がよかった」ということはあるとは思いますが、やはり、それぞれに成功と失敗の両方があるようです。
---owari---
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