このゆびと~まれ!

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いざとなれば発揮される日本人の精神

2018年08月15日 | 日本

今日は日下公人著書「新しい日本人が日本と世界を変える」より転載します。

今回は、「マスメディアの旧態依然とした『報道』」というシリーズでお伝えします。

 

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戦後の日本は、先述したように被占領時のGHQ検閲・情報統制によって言論空間や価値観が左へシフトした。彼らは自分がどこに立ってものを言っているか、客観視も相対視もできないまま過ごしてきた。祖国のために戦い抜いた父祖たちの物語が、また戦後、焼け野が原になった日本を立て直すために懸命に頑張った経営者の物語が、なぜ「右傾エンタメ」と突き放されるのか。

 

日本の過去を悪し様に非難する人々は、「私は戦前の日本を反省しています。私は手が汚れていない新しい日本人です」という感覚から自らを免罪にし、祖国の歴史に愛惜を持つ日本人を一段上から“啓蒙”しようとしている。そこには時代に対する真っ当な想像力も、真摯に検証する姿勢もない。

 

私には十五歳の頃、「死んでもいいから、俺にも戦闘機を一機くれ」と祈った記憶がある。敗戦間近、当時は大阪の外れに住んでいたが、一週間に一度は米軍の空襲に遭った。もう逃げるところがないから、つねづね「いつ焼け死ぬのかな」と思っていた。母も、妹も同じ思いだった。

 

爆弾を投下しながら街を焼き払って悠々と飛び去るB29を見上げながら、新聞に出てくる「神風特攻隊」が羨ましくて仕方なかった。この思いは今の日本人に語っても分かってもらえないかもしれないが、本気で「俺にも戦闘機を一機くれたら必ずB29に突っ込んでやる。撃墜してやる」と思っていた。焼け死ぬぐらいなら、自分にそういう死に場所を与えてほしかった。戦闘機がダメなら小銃一丁でもいい。

 

「一億総特攻」と言われた時代は、今の日本人にはまったく現実感がないだろうが、あの時代を生きた私にはあった。そして、いざとなれば、その精神を発揮するのが日本人なのだと思っている。だから、「いざ」というときが来なければ、普段の日本人はお人好しでもかまわない。

 

歴史に関していろいろと調べてみると、日本軍は最後まで国民に小銃を渡していない。竹やりなどを別にすれば、武器は渡していない。物資不足ではあったが、必ずしも武器がまったくなかったわけではない。渡すときには必ず兵隊にしている。兵隊にしなければ信用できないということもあったが、渡すからにはきちんとした身分にして、戦死すれば弔慰金も出すし、靖国神社にも祀るという“約束”を交わした。

 

もともと日本は、やみくもに民間人を巻き込んでのゲリラ戦などしない近代国家だったことがわかる。沖縄で十万以上の民間人が日米両軍の戦闘の巻き添えで犠牲になったのは、軍民の差を確保できないあまりに過酷な戦場になったからである。

 

そこには確かに軍の責任がある。しかし日本軍は、沖縄県民に銃口を向けたわけではない。県民を守れない無念を抱いて兵隊は死んでいった。そうした複雑な様相を見ずに、ただ「戦争は狂気だ、愚かだ」と言っても、意味ある教訓は得られない。

 

---owari---

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