このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

和歌の前の平等

2020年09月14日 | 日本
(夏休みの宿題の短歌が選ばれた)

 夏空に音は広がりかげろふの揺れる道の辺(べ)パレード終る

大阪の女子高生・佐藤美穂さん(17歳)が夏休みの宿題で作った短歌だ。平成10年1月14日、皇族、各界代表者約80人が参列した新春恒例の「歌会始(うたかいはじめ)の儀」で、10首の入選歌の一つとして、朗詠された。お題「道」に寄せて、日本全国、海外から詠進された2万16百余首の中から選ばれたものだ。高校生の入選は、実に39年ぶりである。

この歌に関して、ニフティサーブの吹奏楽の会議室では、次のような感想が寄せられた。
夏の青く暑い空に自分たちの音が広がっていったこと、ふと見た道の辺に陽炎がたっていたこと、そういう中でパレードが無事に終えられたこと、このような小さな自分の感動をよく見つめて歌を詠んでいるなぁ、と思いました。

パレードに一生懸命取組んだ佐藤さんの生き生きとした姿がよく伝わってきます。普段雑事に奔走しているワタシも、なんかこう、ふうっとなつかしくなり、ほっとさせてくれる歌でした。不思議ですね。(岡山英一)

歌を始めたばかりの女子高生が自分の経験を詠んでみた。その歌を通じて、その時の気持ちが手にとるように伝わる。まさに短歌とは「詠む人の想いを言葉で真空パックした贈り物」であると言える。儀式の終了後、天皇、皇后両陛下にお会いした佐藤さんは「“おめでとうございました”と両陛下はやさしくほほ笑んでおられました」と語った。

(いじめに負けず)
次に朗詠されたのは、北九州市の放送作家、吉永幸子さん(二七)。20代での入選も、33年ぶりだ。小学生のときからいじめにあい、高校時代にはついに登校拒否に。成人式にも出られず、母親が作ってくれた振りそでを着られなかった。歌会始には、その振り袖を初めて着て、参列した。「今回初めて応募したが、入選できて、失われた青春時代も報われた気がする」と手放しで喜ぶ。

 いちにちがきらきらとして生まれ来ぬ海の道ゆく父の背あかるし

西に向かって博多湾を出ていく小さな漁船。その上にすっくと立つ父親のたくましい背中に東から朝日があたっている。一面のさざ波が朝日にきらめいて、一日が生まれ出た所である。そんな情景が浮かんでくる。吉永さんは父親の頼もしい背中に励まされ、その体験を歌に詠むことで、いじめによる心の傷を癒したのであろう。両陛下から「ご両親もさぞかしお喜びのことでしょう」とお声をかけられたという。

(移民の労苦を偲ぶお歌)
皇后陛下は若い二人の入選を特にお喜びになった、と伝えられている。その皇后様は、次のお歌を詠まれた。

 移民きみら辿(たど)りきたりし遠き道にイペーの花はいくたび咲きし

昨年のブラジルご訪問の時に詠まれたものである。ブラジルの農園に至る道に咲くイペーの花をご覧になられて、三代に渡る移民達が、いくたびこの花を見上げながら開墾作業に向かったかを、思われてのお歌である。きびしい農作業のあいまに農民をなぐさめたイぺーの花を通じて、日系移民達の心を皇后様が思いやられる、さらにそのお歌を通じて、我々にも皇后様のお心が偲ばれる。まさに歌とは、人々の心をつなぐ架け橋である。

(和歌の前の平等)
このように和歌は、歌のテクニックを競うものではなく、そこにこめられた「まごころ」を歌い、詠み味わうものである。

現代では「まごころ」とは誠実さとか、人に対する思いやりという意味で用いられるが、古来の大和言葉では、「まごころ」とは「真心」であり、「人間の真実の思い、こころ」と言う意味であった。そして人間の真実の思いを大切にし、それをお互いに理解する事が、大切である、そういう考え方のもとに、自らの「真心」を見つめ、互いの「真心」を通わせるために日本人が発明した独創的な方法が和歌なのである。

我が国最古の歌集、万葉集においても、地位や財産などの外形的なものよりも、人間の真実の思いを尊ぶ姿勢は、すでに明確に現れている。そこには天皇の歌から、名もない農民や兵士の歌まで収録されている。たとえば、次のような歌がある。

 父母が頭かき撫で幸(さ)くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる

出がけに、父母が自分の頭を撫でながら、「くれぐれも気をつけていっておいで」と言ってくれた言葉が、忘れられない。

天平勝宝七年(西暦755年)に、大陸からの侵攻に備えて、東国から九州太宰府に派遣された少年兵士の詠んだ歌である。年の頃は、冒頭の高校生の佐藤さんと同じ位ではないか。その親を思うまごころは、1200年以上も後に吉永さんが「父の背あかるし」と詠んだ親子の情と変わらない。

万葉集は、地位や財産に関係なく、老若男女に関わりなく、まごころを詠んだ歌、そして、そういう歌を残した人を長く歴史に留めておこうとしたのである。

キリスト教での「神の前の平等」に対し、これを「和歌の前の平等」と喝破したのは、渡部昇一の名著「日本語のこころ」(講談社現代新書)であった。我が国では、この「和歌の前の平等」を原理として、国民がお互いにまごころを通わせるような国を理想と考えていたのである。

歌会始はこの理想を国家的制度にまで具現化したものである。

(世界から見た歌会始め)
歌会始めは平安時代から行われていたようだ。宮中恒例の年頭行事となったのは、後土御門天皇御在位(1464-1500)の頃と言われている。国民一般の詠進が始まったのは、明治5年。それからすでに125年もの歳月が経っている。

今年の歌会始で女子高生が宿題で詠んだ歌が、両陛下以下、新聞やテレビを通じて全国民に披露されるというのは、この「和歌の前の平等」の伝統が現代の歌会始にも脈々と息づいている事を示したものである。

このように天皇と国民が一同に会して、お互いに歌を通じてまごころを通わせ合うというのは、外国人から見ても、驚くべき文化伝統であった。イギリスの桂冠詩人ブランデン、今上陛下の家庭教師であったアメリカのヴァイニング夫人は、それぞれ歌会始に陪席して、美しい感想を残している。

また白百合女子大のマリー・マリー・フィロメーヌ教授は、
”The New Year's Poetry Party at the Imperial Court -Two Decades in Post-war Years, 1960-1979" (北星堂、昭和58年)で諸外国に皇室の歌会始めを1冊の本で紹介され、日本の皇室と国民との間に、歌を介した美しい、次元の高い交流がある、と記された由である。(皇后陛下の御歌集「瀬音」p235-7)

「和歌の前の平等」という優れて精神的文化的な伝統が我が国の古来からの国柄の一つとなっている事を、2月11日、建国記念の日に思い起こしたい。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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