(「自分に見えていないこと」と「親に見えていないこと」)
なお、母親は、「賢い女性なら必ずいいか」というと、そうでもありませんでした。
例えば、私と仲の良かった女性のなかには、医学部に行った人もいたのですが、そのことを母親に話すと、「賢いから、知性の高い者同士、惹(ひ)かれ合うところもあるだろうけれども、女医などというのは、いい奥さんになれないから駄目だ、やめなさい」というようなことを言うのです。
女医というのは、収入はあるものの、やはり忙しいので、「自分のほうこそ“お嫁さん”が欲しい」というような面もあるのでしょう。母親は、「うちの息子は、そういった女性にお仕(つか)えできるタイプの男性とは違う。だから、そういう人と結婚してはいけない」と見ていたわけです。
「自分には見えているのに親には見えていない」というところがあって、「親の反対を押し切ってでも結婚したほうが、おそらくいい」と思える場合もあるはずです。そのときは、自分の責任でやっていかなくてはいけません。
また、相手の親が激しく反対する場合は、「嫁として家に入り、家風を学んだり教わったりする」というようには、なかなかならないだろうとは思うので、その段階で核(かく)家族化する気は出ていると思います。
(若かった嫁が、姑(しゅうとめ)になると同じことを・・・・・)
奥さんのほうに、先ほど述べた柔軟心(じゅうなんしん)や、「まだまだ勉強しよう」という気があって、「自分とは違う家風を持っている方に、厳しくしごいていただいても構わない」というだけの胆力(たんりょく)があれば別です。
その場合は、自分が、実の母親から教わったものとは違う流儀(りゅうぎ)等を学ばなくてはいけないこともあるかもしれません。
特に、謂(いわ)れのある家で、何か伝統的なものを持っているような相手と結婚する場合、その伝統の世界に入れなかったら、やっていくのは無理だと思います。例えば、呉服問屋でもいいし、医者の家でもいいのですが、何か特殊な技能の世界に生きている人の家に嫁(とつ)ぐのは、やはり難しいでしょう。おそらく、将棋指(しょうぎさ)しの家に嫁(よめ)に行くのも、それほど簡単なことではないだろうと思います。
結局、新しい文化を学ぶためには、それを学び取ろうとする「意欲」と「謙虚(けんきょ)な気持ち」が大事なのです。そういうものがあれば、やれないことはないと思います。
ともかく、昔から、嫁姑(しゅうとめ)の争いはけっこうありました。たいていの女性はお勤めをしていなかったので、「家庭において、姑が事実上の管理職として、新入社員である嫁を鍛(きた)える」ということが多かったわけです。ところが、それで心に毒をつくったり、苦しみをつくったりしたこともあって、「嫁姑の争いは醜(みにく)い」と言われていたのでしょう。
ただ、嫁のほうも、姑が亡くなり、自分のところに新しい嫁が来ると、「自分がされたことと同じことをしてしまう」というケースも多いようです。あるいは、この段になって初めて悟(さと)るという面もあるかもしれません。
---owari---
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