(「主の御心」にすべてを委ねよう)
これまでに述べてきたことを復習(ふくしゅう)してみましょう。
まず、「すべてを委(ゆだ)ねなさい」と言いました。これは、「すべてを仏に委ねなさい」ということです。
「主よ、私が苦しんでいるのは、決して、他の人のせいでもなく、自分自身のミスでもなく、仏が意地悪(いじわる)をしようとしているからでもありません。これは、今世(こんぜ)、私がこの世に命を享(う)けた意味を教えるためのものです。私は、そのことを受け入れ、悟(さと)りたいと思います。だから、主よ、御心(みこころ)にお任(まか)せします」という気持ちが大事なのです。
そのように、じたばたするのをやめ、判断を下すことをやめて、静かに受け入れてください。
受け入れたときに、浮力が湧(わ)いてきます。生きていく力がグーッと湧き上がってきます。そのときに奇跡(きせき)が訪(おとず)れます。
それまで、自我力(じがりょく)で頑張っていながらも、非常に苦しみ、世の中が地獄(じごく)に見え、「自分は地獄の底であがいている」と思っていたのに、実は、そうではなかったことが分かります。「自分は、“鳴門(なると)の渦潮(うずしお)”のなかできりもみ状態になり、溺(おぼ)れていると思っていたけれども、本当は畳(たたみ)の上で転がっていただけだ」ということが分かってくるのです。
どうか、「大いなる力に委ねよう」という気持ちを持ってください。そうすれば、みなさんは、気づかないうちに、自然に救われていることでしょう。
(苦しみは、魂を鍛えるための大いなる慈悲)
本当の意味で信仰心が立ったならば、「大いなるものに委ねる」という気持ちにならなければなりません。すべては大宇宙の意志の下にあり、自分一人で動かせるものなど、ある意味で何もないのです。
「この世に生かしていただいた。生まれさせていただいた。この世で人生修行をさせていただいた」ということは、ありがたいことです。本来、それ以上、何も求めてはいけないのです。
「主よ、すべてをお任せいたします。この修行 が私に必要だと、あなたが思っておられるならば、その修行に耐(た)えます。私の魂のために必要なものならば、受け入れます。それに抗(あらが)いません。現(あらわ)れたものを、そのまま受け止めます」
そういう気持ちを持ってください。
そうすれば、「実は、自分は地獄の底にいたのではなく、最高のコーチが付いて、自分を指導(しどう)してくれていたのだ」ということが分かってきます。
そうとは知らずに、地獄の底でもがいているような気持ちでいるわけですが、この世においては、「『天国だ』と思うことが、本当は地獄であり、『地獄だ』と思うことが、本当は天国である」ということが多いのです。そのように、往々(おうおう)にして正反対になるわけです。
今、みなさんは「自分は地獄の坩堝(るつぼ)で苦しんでいる」と思っているかもしれませんが、それは、実は、みなさんの魂を鍛(きた)え、真なる金(きん)に変えようとする、大いなる慈悲(じひ)であることが多いのです。
そういうことを知っておいてくださればと思います。
そうすれば、みなさんには、「奇跡を感じる瞬間(しゅんかん)」が必ず訪れるでしょう。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます