『挫折を「成功」に転じる“幸福の種”をつかむには』
―――新しい自分をつくるために、過去の自分の“体系的廃棄”を行う
「挫折のなかに幸福の種を見いだす」ということを述べました。この章の冒頭では“失敗学”について言及しましたが、失敗と思えるもののなかに、実際は次の成功の種があるのです。
成功を続けているだけならば、なぜ成功したかがよく分からないことがあるのですが、失敗すると、一つだけ確実に何か悟ります。「これでは駄目なのだ」ということが分かるのです。そのため、失敗のなかで研究することによって、次の成功の種が得られます。
こういうことをせず、単に運命のせいにし、世の中のことを、あれこれと言っても駄目なのです。やはり、失敗のなかから学ぼうとすることが大切です。
過去に成功した路線のなかに新たな成功はないのです。チャレンジして、新しい環境を求めたならば、その環境に合わせて、過去の自分を体系的に捨てていかなければなりません。“体系的廃棄”を行って、新しい自分をつくっていかないかぎり、過去と同じような成果を出すことはできないのです。
自分に挫折や失敗がやってきたときには、そのなかに、次の成功をもたらす、“幸福の種”を見いだしていかなければなりません。新しい自分というものを見いだしていかなければなりません。
「この挫折があるからこそ、実は、新しい自分に変化し、発展することができるのだ」ということを読み取らなければいけません。それを読み取って生かし、本来の自分の素質や能力を伸ばすところまで行かなければならないのです。
昔、ある相撲取りは、「自分が土俵にたたきつけられたとき、自分の体に付いた土の味をしみじみと味わい、土俵にある自分の体の跡をじっと見つめるほどの人でなければ、大関や横綱にはなれない」と語ったそうです。
それは、「自分を変えるには、敗北から学ぶ厳しさを自分の内に持たなければならない」ということなのでしょう。
「運・不運」のようなものだけに任せるのではなく、自分の失敗にじっと耐え、「なぜなんだ。どうしたらいいんだ」ということを考え抜き、成功の種子をつかんでいく人は、最初から態度が違うわけです。そういう人には、「負けたときに、自分が敗れた跡をじっと見る。そして、次のことを考えていく」というところがあるのです。
---owari---
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