『視点を変える②』
(「学歴」が人生のすべてではない)――偏差値の高い学校ほど自殺率が高い
次に、若い世代の人たちの苦しみを考えると、例えば、受験などのハードルがあります。
今、「受験戦争」のなかにいる人にとって、それは、つらいことだろうと思います。しかし、教育を十分に受けられない国の人々と比べれば、日本のように勉強の機会が数多く用意されている国の人々は、とても幸福な立場にあると言えるのかもしれません。どうか、そういう視点を持ってほしいと思います。
また、現在の学校は偏差値で多くの階層に分けられているため、受験者にとっては、入試の合否という、成功と失敗はあるでしょう。しかし、偏差値の高い学校に入れたら成功で、低い学校に入ったら失敗だとは限りません。
例えば、「出身校の偏差値が高くなると、自殺率も高くなる傾向がある」と指摘する人もいます。
自殺の問題について、「人生の底辺にある人は自殺して、うまくいっている人は自殺しない」と言えるかというと、必ずしもそうではありません。「ある程度、うまくいっていた人が、途中で挫折したときに自殺する」というようなことが多くあるのです。
東京大学のある教授が大教室で、「文Ⅰの人は、毎年、必ず一人は自殺します。しかし、文Ⅱの人は自殺しません」と言いました。文Ⅰとは、文科Ⅰ類の略で、官僚や法曹界を目指す人の多い、法学部へのコースであり、文Ⅱとは、文科Ⅱ類の略で、卒業後は企業へ就職する人が多い経済学部へのコースです。
その教授は、「文Ⅰには、地元で学力が一番だったような人が全国から集まってくるので、『自分が一番でなければ我慢できない』というような人は、挫折に耐え切れずに自殺することがある。しかし、そういう、ものの見方、考え方は間違っているので、気をつけなさい」と言っておられました。
地元で一番の人ばかりを集めても、一番から最下位まで順位が出るのは当然のことです。しかし、それが受け入れられなくて自殺する人が出てくるのです。
あらかじめ諦めの思いを少し持っていた人のほうが挫折に強くて、「最高級であることが認められないと許せない」などと思っている人が、簡単に死んでしまうわけです。
人生の最初のうちにうまくいった人は、途中から道が閉ざされ始めると苦しくなってきます。「自分の人生が次々と開けていくようでなければ許せない」と思っているため、うまくいかないと、衝動的に自殺してしまうのです。
一方、偏差値がそれほど高くない学校に入った人の場合は、わりと早いうちに諦めが始まっていて、自分にあまり高望みをしていません。人生の最後の段階で、「自分は大したことがないな」と思っていると、そう簡単には死にません。そういう人の人生が、やがて開けていくと、みな驚くのですが、実際、偏差値の高くない学校に入ったとしても、人生のある段階からうまくいくようになる人もいるわけです。
---owari---
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