(男女共に、結婚後は「役割の違い」に目覚めないと)
もちろん、職業も立場もそれぞれ違うので、一概に言えるものではありませんが、いずれにしても、最後は「人間としての賢さ」の問題に帰着するのではないでしょうか。
何かで突出した業績をあげようとするならば、やはり、“しわ寄せ”は必ずどこかに来るので、「そうしたしわ寄せの部分を吸い取るだけの力が家庭にあるかどうか」というところは大きいと思うのです。
夫の仕事が非常に難しいものであったり、忙しかったり、あるいは、普通の人であれば重圧で潰(つぶ)れてしまうようなものだったりした場合には、その“歪(ひずみ)”は必ず家庭に来るはずです。したがって、それを“吸収できるだけの力”があるかどうかというところは、結果的に見れば、妻として試(ため)されれている部分もあるでしょう。
また、夫の仕事が、それほど難しくないもの、平凡な仕事である場合には、その分、子供に期待をかけるほうへ行って、子育てにたいへん熱心な妻となることもあるかもしれません。ただ、子育てのほうにあまり狂奔(きょうほん)しすぎると、大したことはないと思っていた夫の仕事にまで悪影響が出てきて、一家の将来に対して大きな影が差すこともございます。
なかには、競争心の強い妻もいて、「夫がしたことは、自分もする」というように、ことごとく同じようなことをする人もいるわけです。
「夫が飲み会に行ったから、自分だって昔の友達と飲み会に行く」とか、「夫が『温泉旅行に行く』と言うから、自分だって出かけよう」とか、「夫が『会社の友達とテニスに行った』と言うので、自分だってテニスクラブに入りたい」とか、まるで競争しているかのような夫婦も世の中には存在します。
そのように、“男女で競争するカルチャー”というのは、進学校等によくあるようなカルチャーではあるので、そういうものの延長で現在まで来ているのではないでしょうか。
今、*LGBT等、いろいろと難しいこともありますけれども、ある意味で、結婚を契機にして、「女性ということに目覚めなければいけないとき」があるのではないかと思うのです。
*LGBT・・・レスビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシャル(両性愛者)、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)などの性的少数者を指す。
確かに、学生時代であれば、男女の区別もなかったかもしれないし、とりあえず、勉強ができればほめられたり、部活動で活躍すればほめられたりしたことはあったと思います。しかし、結婚することによって、ある程度、役割の違いに目覚め、女性として開花することが大事なのではないでしょうか。
そういう面は、もちろん男性にもあるだろうと思います。結婚することによって、男としての使命感、責任感といったものに目覚めて、いっそう男らしくなったり、頼もしくなったりする方も出てくるはずです。
ただ、結婚の重圧に潰されてしまい、独身のときには立派に見えた方が、「現実には、こんなに頼りない人なのか」と思われるようなこともあるかもしれません。そのように、いろいろとあるとは思います。
女性は結婚を契機に、女性として目覚めることが大事ではないかと思います。これは、「心の方向性」の問題ではあるのです。
---owari---
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