生老病死(しょうろうびょうし)は釈尊(しゃくそん)の説(と)いた四苦(しく)だ。
生まれることの苦しみは忘れやすく、
逆に喜ばれることも多い。
だが「老」「病」は、
現代でも厳然(げんぜん)たる苦しみである。
本人自身だけでなく、
家族や社会全体に及ぼす苦しみである。
心と身体の不調和は、
単なる人生の運転技術の問題なのか。
それとも運命の影が、
神仏の光をさえぎるのか。
大病(たいびょう)が人生の節(ふし)として予定されていることもある。
本人の勉強にとってそれが避(さ)けがたい時もある。
だが中・小の病(やまい)は、
たいていは、無駄(むだ)な悩(なや)みか、
仕事配分の失敗、
生活習慣上の不注意である。
神の子として当然の、
自己愛が軽視されている場合もある。
各人(かくじん)が他の人を愛するとともに、
神の子としての自立、自覚も必要である。
他人との競争をしばしやめて、
心を休ませることも大切である。
自分もまた一匹の蛍(ほたる)のように、
闇夜(やみよ)に光を放(はな)つ存在である。
その小さな光を愛してみよう。
生霊(いきりょう)や死霊(しりょう)の害心(がいしん)もあろう。
すべすべとした鏡のように、
受け流すことが、復活のパワーとなるだろう。
---owari---
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