日本の企業がアジア諸国を回ると現地の政府は「日本の工場に来てほしい。我が政府は特別に工場団地をつくりました。許可も便利にいたします。規制もかけません。生活条件は万事アメリカ並みにいたします」といろいろセールストークを言う。
さて、調査に来た中小企業の社長は、それ以外に何を見て判断するだろうか。投資するかしないかを、どこで決めて帰るのか知っているだろうか?
先方の学者や官庁の人にそう質問すると、土地の値段や電力事情とか、賃金が安いとか、数字になるような条件を答える人が多いが、それはアメリカの本に書いてある項目である。アメリカ人は歴史が浅いから、そういうことでしか産業を見ない。それでもつくれるようなものしかつくっていない。
日本は全然違う国だと言いたいのである。
日本の中小企業の社長は、たとえばホテルに泊まったら、朝食のサービスをじっと見ている。従業員が出てきて、フォークを並べたり皿を出したり下げたり、そのときの仕草を見ている。仕草がぞんざいなら、こんな国では我が社の製品はつくれない。
こんなぞんざいな者につくらせたら不良品続出で、検査をしたり工員を教育したりするのに手間がかかって仕方がないと考える。街を歩いて店に入れば、同じように仕草を見ている。工場見学でも、従業員の仕草や機械の扱い方を見る。
要するに、日常のセンスを見ているのである。
日本の中小企業の社長は、その国の人たちがぞんざいか丁寧かということを見ている。言い換えれば家庭のしつけや生い立ちを見ている。
ぞんざいな人には日本人向けの製品はつくれない。無理矢理マニュアルでつくらせても、日本のお客は目が肥えているから、一時的にしか買ってくれない。
それが意味することは、日本のマーケットは凄い、文化レベルが高い、ということである。
それを分からせるため、ワコールでは婦人下着の不合格品を工員を集めて目の前に積み上げ、昨日はこれだけ不良品が出たと言って火をつけて燃やす。女子工員たちは悲鳴をあげるが、それはどこが不良品なのか分からないからである。縫い目がまっすぐでなくても良いではないか――というセンスを直すためのショック療法なのである。
---owari---
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