(「値段が付かない生き方をしている自分」に気づく)
世の中には、「今、自分は何も持っていない。財産などまったくない」と言う人も多いのですが、そんなことはありません。人は誰しも、たくさんのものを持っています。
例えば、人間関係がそうです。人間関係が悩(なや)みの種になることもありますが、自分を助けてくれるような人間関係も、みなさんは、たくさん持っているのではないでしょうか。
また、肉体だってありがたいものです。現在、臓器移植(ぞうきいしょく)が流行(はや)っているため、発展途上国のような貧(まず)しい所では、親が、自分の子供の腎臓(じんぞう)や眼など、体の一部を売ったりしています。あるいは、自分の子供が、一生、乞食(こじき)として食べていけるように、親があえて子供の片手(かたて)を切り落とすケースもあります。
一方、日本やアメリカのような豊かな国に住む人の場合は、どうでしょうか。「あなたの両腕(りょううで)を売ってほしい」と言われたら、いくらで売りますか。「腕一本を一億円として、二本を二億円で売ってくれないか。ついでに両足も売ってくれないか。両手両足を四億円でどうだろうか」と言われても、そう簡単には売らないでしょう。
つまり、みなさんの手や足は、それ以上の価値を実際は持っているわけです。「自分の足で歩け、自分の手でご飯が食べられて、仕事ができる」ということは、ありがたいことなのです。
また、「あなたの右眼を売ってほしい」「あなたの脳を売ってほしい」と言われたら、いくらで売りますか。やはり売りたくはないと思います。いくらお金を積まれても、そう簡単には売らないでしょう。
ちなみに、医学がもっと進んだならば、いつか、「脳の入れ換(か)え」ができるようになるかもしれません。
例えば、「自分の脳の悪いところを一部取り去って、頭のよい人の脳に入れ換えたら、記憶力(きおくりょく)がよくなるので、受験前には脳の移植が流行る」という時代が来るかもしれません。今の医療技術の進歩から見ると、一世代もしたら、そういう時代が来る可能性はあると思います。
「親である自分の出来から見て、どうせ、うちの子供は生まれつき頭が悪いに違いない。ただ、お金はあるから、自分の子供の脳を、秀才の家系の子供の脳に入れ換えたい」というようなことが可能になるかもしれません。
しかし、どんなにお願いしても、脳は、そう簡単には売ってくれないと思います。これは値段(ねだん)がつかないものなのです。
要するに、みなさんは、「値段が付かないような生き方」をしています。実際は、いろいろなものに恵まれているのです。
生き物にとって最も大事な空気も、ただで吸うことができます。「一生の間に吸う酸素の代金を払いなさい」と言われたら大変です。
例えば、国に財源がないことを理由に、「酸素税(ぜい)」などをつくられたら、もう大変でしょう。「酸素を吸った分だけ、税金を払いなさい。日本領内(りょうない)の酸素は日本の国のものだから、国内で吸った酸素については、国に税金を納(おさ)めなさい」などと言われたら、日本国民は逃げられません(もっとも、国民がゼロになるかもしれませんが)。
太陽の光も、ただです。「太陽の光を浴びたら、一時間につき、いくらお金を払ってください」というようなことにはなっていないのです。
どうか、「人間にとって大事なものは、すでに、ただで与えられている」ということを忘れないでいただきたいと思います。
---owari---
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