(神は無限に近い時間をかけて、宇宙を創り、人類を育んでいる)
自分の本当の望みがどこにあるのか。「限りなく人々をよくしていきたい。幸福にしていきたい」と思うならば、それは地上生命が燃え尽きるまで続くことであるはずです。あるいは、地上を去った後(のち)も続くことです。
そこまで続けていくためには、どうしなければならないか。それは静かに行くことです。その目的がはっきりしたならば、静かに行くこと、静かに自己発揮していくことです。他の人に気づかれようとするな。自分自身を満足させようとするな。ただ、その行為を積み重ねていこうと思うことです。これがポイントです。
ですから、常に自戒(じかい)して、炎が強すぎないかどうか、周りを焦(こ)がしてしまうところまで行っていないか、炎が大きすぎるなら調整して、長く長くそれを続けていこうと努力することです。
それは簡単な方法ですが、気がつかなければできないのです。気がつくことです。それを知恵といいます。それが知恵なのです。知恵があれば、愛は持続する。
そして、その「愛が持続を含む」ということの根本義(こんぽんぎ)ですけれども、これは、「神が永い永い時間待たれていた」という、そこにあるいということです。無限に近い永い時間をかけて、この宇宙を創り、人類を育(はぐく)んでいるというその念いは、持続そのものです。
ゆえに、愛は持続であり、持続はすなわち許しを含んでいるということを言っているのです。これがマクロの目から見た話しです。
ミクロで言えば、個人個人は静かに行くことです。気づかれないことです。足音を忍(しの)ばせて、他人に気がつかれないように行くことです。それがすべてです。
---owari---
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