(遠くまで行こうとする者は静かに行くこと)
小さな灯火(ともしび)は長く続くのですが、大きく派手に燃え上がりますと、それはあっという間に燃え尽きてしまう。これはどういうことを意味しているのか。
結局、「愛」の行為、まあ、「情熱」も含めて言ってもよいのですけれども、それを自分がやっているとしても、その炎(ほのお)が一時的にものすごく大きなものであったならば、あっという間にいろいろなものが燃え尽きるでしょう。それは、自分自身だけではなく周りのものをも焼いてしまうような、熱と光を放つことがあるでしょう。
それはどういうことかというと、その炎の大きさを見て自己満足したい気持ちが一つあるのと、周りの人に注目されたいという気持ちが、そこにあるのだと思います。大きな炎を燃え立たさねばならない理由は、「多くの人に、その情熱を、その自分の愛の行為を見てほしい」という気持ちが、そこにあるからです。
そのときに、炎を大きくせざるをえなくなる。そして、大きくした炎は、すぐに燃え尽きていくでしょう。そういうことを言っているのです。
ところが、「愛」といい、「情熱」といっても、真に人々を素晴らしくしていこうとする念(おも)いに満ちているならば、それは一時的な、派手な行為には決してならないのです。
派手な行為のなかには、自分に見返りを求める心が必ず入っています。
そうではなくて、本当に世の中を変えていこうとするならば、人々をよくしていこうとするならば、それは、自己顕示(けんじ)というものと極めて遠い姿になってくるのです。それは、静かに自己を発揮するというかたちになってきます。
静かに行く者は遠くまで行きます。ところが、鳴り物入りで行こうとする者は遠くまで行けません。遠くまで行こうとする者は静かに行くことです。静かに静かに進んでいくことです。これが遠くまで行く秘訣(ひけつ)です。持続するための秘訣です。
すなわち、どういうことかというと、「愛の行為をしても、情熱を続ける行為をしても、静かに行こうという気持ちだけを忘れてはならない。それは、他の人にそんなに気づかれようと思うな」ということであります。
もう一つは、「自分自身の自己満足を求める心を捨てなさい」ということです。「自分はその行為を続けていきたい。多くの人たちを照らしていきたい」と思うならば、それを黙って静かにやり続けることです。これが大事です。
結果主義者になると、それを短時間で出したくなってきます。そこに自己顕示欲がある。そこに他の人に見られたい自分があり、そこに自己満足があり、慢心があり、次に来るものは、転落が来る。そういうことなのです。
---owari---
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