「男性は、家庭のなかで模範的な存在でなければならない」ということは、言うまでもありません。
外においてだけ素晴らしく、家庭においては素晴らしくない男性であるならば、尊敬に値しません。外なる仕事が内なる犠牲の下に成り立っているならば、尊敬に値するほどの仕事をした人であるとは、とうてい言いがたいのです。
強き男性であるからこそ、優しさが溢れてくるのです。強くなければ、真に優しい男性とはなれません。
その強さとは、責任感に裏打ちされ、「この世のなかにおいて、みずからの命を燃やさん」とする仕事のなかに発揮される強さでしょう。その強さあってこその優しさであることを忘れてはなりません。
男性が優しくなるということは、男性が女性化するということではありません。そんなことではないのです。
そして、真に優しき女性とは、勇気ある女性でもあります。
夫が、いかなる苦難・困難のなかにあっても、それを支え、励まし、偉業をなさしめるのは、妻の力です。
ここで要求されるのは勇気なのです。
勇気ある女性こそが、また優しいのです。
優しいとは、「弱々しい」「めめしい」ということではありません。優しさとは、逆に人間を強くしていくものです。それを忘れてはなりません。
強さあってこその優しさ。(仏法真理)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます