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「鎮守の森」を世界へ(後編)

2020年12月02日 | 日本
(「タブノキ! タブノキ! タブノキ!」)
平成14(2002)年11月23日朝、島根県出雲市にあるオムロン出雲のグランドに、市内の750名もの小中学生が集まった。やがて宮脇が紹介され、マイクを通じて大きな声で呼びかけていた。

北山の、出雲の一番本命の木は、火事にも、地震にも、台風にも長持ちするものは何であるか、大きな声で言っていただきます。タブノキ! タブノキ! タブノキ!

グランドの向かいの北山では、緑の山麓の所々にぽっかり穴があいているのが見える。マツ枯れが進行しているのである。そこにこの土地の木を植えて、北山を本来の姿に戻そうというのが、この植樹祭の目的だった。

宮脇の説明が終わると、小中学生らが宮脇に率いられて北山に登っていく。細い山道には小学生でも登れるようにと、新たに丸太の階段がつけられている。30分ほど歩き続けて到着した植栽現場では、枯れたマツが切られて、タブノキ、シラカシ、アラカシなど35酒類、7千本のポット苗が置かれている。

この日のために、1ヶ月もかけて30人の森林組合や市職員たちが準備していたのである。宮脇の熱意は多くの人びとを動かしていた。

1時間足らずの間に、7千本の苗木が5千平米の北山の斜面に植え込まれた。植え終わる頃には、子供たちは額に汗を浮かべ、充実感に目を輝かせていた。彼らが大人になる頃には、北山はこの土地本来の緑に包まれているだろう。山肌にしっかり根を張って土砂崩れを起こさず、豊かな水と空気を生み続けるふるさとの森へと。

宮脇はこうした植樹祭をすでに約千二百カ所で行ってきた。

(海外に広がる「ふるさとの森」づくり)
宮脇のふるさとの森づくりは、海外にも広がっていった。1990年、三菱商事から協力依頼があり、同社内に地球環境室が作られ、東南アジアにおける熱帯雨林の再生プロジェクトがスタートした。

当時は日本企業によるラワン材の伐採が海外からも強く非難されていた。しかし、日本企業の伐採は一ヘクタールあたり数本の超高木に限られており、それよりもその後で、韓国や華僑系の人びとが成長途中の樹木まで伐採し、さらに現地の人びとが後を焼いて焼き畑にしてしまうことが問題であることが分かった。

宮脇は36種類の超高木、高木、亜高木のポット苗を作り、1991年7月にマレーシアで学生や地元の住民2千人を集めて、第一回の植樹祭を行った。8年後には土地本来の多様な樹木が10メートル以上にも伸びた熱帯雨林に成長した。それ以来、三菱商事と日本からのボランティア、マレーシア農業大学の協力で毎年、植樹祭を続け、既に50ヘクタール以上、30数万本の苗が植えられ、着実に育っている。

同様に様々な日本企業の協力を得て、タイではマングローブ林、アマゾンでは低地熱帯雨林、チリではナンキョクブナ林の再生が進められている。

(深刻な中国の砂漠化)
中国での緑の破壊と砂漠化は深刻である。中国全土の約28%が砂漠となり、森林率はわずか17%。砂漠は北京からわずか70キロの西北に迫っていた。北京市長は宮脇に頼んだ。「宮脇先生、このままでいけば40年で都を移さねばなりません。是非ご協力いただきたい」

万里の長城沿いに森をつくるという壮大な計画を宮脇は開始した。日本のイオングループ環境財団と北京市の間で3年間に39万本の植樹をすることが決まり、宮脇がプロジェクト・リーダーとなった。

長城付近にはほとんど樹木がない。長城のレンガを焼くために付近の樹木が伐採され、その後も戦乱や、暖房の薪取りに、森は破壊され尽くしていた。宮脇は付近の古いお寺などに残っているモウコナラの老木から、この木がこの地域の主役であろうと推定した。そして土地の古老から聞き出して、100キロ以上も奥地にあるモウコナラ林を見つけ出し、大量のドングリを手に入れた。

第一回の植樹祭は1998年7月4日。日本から1400人のボランティア、中国人民政府側から1200人が集まって、4万5千本のモウコナラのポット苗を植えた。中国での植樹祭なのに、日本からのボランティアの方が多いのは、環境意識の違いからだろうか。

寒暖の激しい環境で、苗が根付くかどうか。5ヶ月後の12月の調査で、当初逃げ腰であった林業試験場の職員達は言った。「プロフェッサー・ミヤワキ、100%活着している。不思議だ。しかし100%と言えば北京市人民政府の局長や部長が信用しないから、活着率98%と報告したいが許してくれるか」

その後、宮脇は北京市から都市緑化顧問に、上海市からは浦東新区緑化顧問に任命され、中国での緑化活動に活躍している。

(「鎮守の森こそ21世紀の世界を救う足がかりになる」)
1997年3月、宮脇はハーバード大学で開催された「エコロジーと神道」という国際シンポジウムに招かれ、「鎮守の森を世界へ」と題する招待講演を行った。宮脇は、神道と鎮守の森の歴史や意義について語り、「鎮守の森こそ21世紀の世界を救う足がかりになる」と訴えた。

シンポジウムではナポリ大学の教授がこんな発言をした。

4千年の歴史を持つ自然と共生した日本の自然宗教が、ごく最近、百年足らずの間に、一部の人によって間違って利用されたために、いま、多くの日本人が宗教に無関心である。鳥居とか、神社とか、鎮守の森と言っただけで拒否反応を起こす。これはきわめて不幸なことである。我々は4千年続いてきた神仏混淆(こんこう:入り混じらせること)の宗教をもう一度見直すべきではないか。

シンポジウムの最後に開かれた打ち上げパーティでは、一人のアメリカ人が宮脇に英語で話しかけてきた。

「日本の伝統的な鎮守の森をモデルとし、エコロジーと総合した新しい鎮守の森づくりを科学的な脚本にしたがってやろうとしている。これは素晴らしいことです。しかも、国内だけでなく、アマゾンやボルネオでもやろうとしている。このノウハウを日本から世界に発信していけば、再び私は日本がナンバーワンになると信じています」

そう語りかけてきたのは、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者・ハーバード大学の教授エズラ・ボーゲルだった。(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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2 コメント

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Unknown (liveyourlife)
2020-12-03 18:07:40
私は昔、多くの日本企業の環境管理室と関わる仕事をして参りましたが、もちろん植林の話もよく聞いていましたが、活動の背景にこのような深い背景があったと、日本古来の思考や鎮守の森とつながっていたとは全く知りませんでした。今更恥ずかしくなってきます。教えてくださりありがとうございました。
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こんにちは (このゆびとまれ!です)
2020-12-04 11:07:03
liveyourlifeさんへ

コメントをいただき、有難うございます。
私たちの時代(1970年大阪万博以降)は環境管理室が重要な役目を担う時期でもありましたね。日本の技術、経済発展のためにご尽力いただき、有難うございました。
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