このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

一輪の花を咲かせる

2021年03月03日 | 人生
私たちは、宇宙に繁栄と進歩をもたらすために、
今から数億年以上の昔に、
偉大なる神の魂が分かれ、
地球、あるいは地球によく似た
人類の生存に適する環境に生命を持って、
魂修行をしているのである。

各人が転生をくり返すことによって、個性を持ち、
個性の数だけの幸福を味わえるように創られたのである。
そういう偉大なる出発点があったのである。

一人ひとりの人間は、姿かたちが違うかもしれないが、
その根源において、
その創造において、その創られたるところにおいて、
ひとつであったのである。

他人の姿に見えているものは、
他人ではなく自分自身でもあるということに、
かつて自分自身と同じものであったものが、
個性を得、経験を得、歴史を経て、
違ったように現れているだけで、
これらはすべて自分自身の姿であったということに
気がつかなければならないのである。

「魂の兄弟」ということを聞いたこともあるであろう。
人間の魂は一人だけでできているのではなく、
一人の本体と五人の分身の六体を一組としてできている
という話を聞いたこともあるであろう。
しかり、それも事実である。

しかしながら、本当の意味における魂の兄弟とは、
この地球に生きている七十七億人の人びとすべてが、
その魂の兄弟になるのである。
地上を去ったところの五百億の人たちすべての魂が、
兄弟であるのだ。

いや、この地球という星を超えたところの他の天体にも、
私たちと同じようによろこびを感じ、
悲しみを感じ、苦しみを感じ、
またあるときに幸福感に満たされているような人たちが、
数多く生きているのである。
そうした事実があるのである。
私たちは、そうした大きな魂の器のなかに共存しつつ、
生きている生命なのである。

だから言っているのである。
他を酷評し、他の者を見限り、
他の者を冷たく見、冷酷に見、厳しく見る見方は、
ほかならぬ自分自身の生命を、
真実の有限なるものから、
さらに小さな小さな点のようなものにしてゆく行為に
ほかならないのである。

神は一本の大樹であり、
この大樹からいろいろな枝が分かれてきた。
この枝に、いろいろな花が咲いてきた。
この花のなかに、雄(お)しべがあり、雌(め)しべがある。
私たちは、大きな目で見れば、
銀河という世界に咲いたひとつの花である。

ひとつの花であるというところにおいて、
この銀河のなかでは有限の存在かもしれない。
しかし、もっともっと小さな個性のレベルで見たならば、
その有限の存在である我らは、
自分自身の本質を
さらに限ったものと見てゆこうとしているのである。

ひとつの花が、花全体の姿として見えることなく、
花びらの一枚、雄しべと雌しべという一本一本に分解され、
やがて花粉となり、花の細胞となり、
さらに小さなものとなってしまい、
無限なる神から分かれてきて
本来かたちあるものだった有限のまとまりが、
小さく小さく裁断され、分割され、
その姿さえわからなくなっている状況なのである。

そんな小さな存在に、自らを限ってきているのである。
それが、自と他をへだてて、
「自分だけがすべてだ」と思う考え方である
と言っているのである。

私たちは、
こうしてバラバラに生きているように見えるかもしれないが、
いま言ったように、
銀河というレベルで見たならば、
一輪の花かもしれないということなのである。

私たちの魂の集まりが、
一輪の花をつくっているかもしれないのである。
花のなかに住んでいる私たちの
その姿は見えないかもしれないが、
さらに、私たちの知恵を超え、見識を超えた、
はるかなる世界においては、
それが見事な一輪の花になっているのである。

それは銀河という花畑に咲いている花であり、
銀河をはるかに超えた他の惑星集団のなかにおいても、
また違った花が咲いているのである。

いろいろな花が、この大宇宙のなかに咲いているのである。
その一つの花が、
その惑星の集団のなかに集まっているすべての魂を総合した姿なのである。
その繁栄した姿なのである。

ゆえに、それが艶(あで)やかな花を開かせているところもあれば、
しぼんで小さくなっているところもあるのだ。
私たちの住んでいる世界は、
今、大きく花咲かんとしている時代なのである。

私たちの生きている世界を、
ひとつの群れとして、大きな集団として見ていったときに、
この地球を中心として花咲かせている私たちの魂は、
今まさに蕾(つぼみ)から花へと向かってゆかんとしているところなのである。
蕾から花に向ってゆかんとする時こそ、
風は冷たい。
その蕾が開かんとする時こそ、
外気は冷たい。

春はまだ遠いように見えることもあるであろう。
しかし、私は言っているのである。
その外気の冷たさこそ、その冬の感覚こそ、
間違いなくこれから春の時代が来ることを
告げているのだということを。

恐れてはならない。恐れてはならない。
花咲かせることを恐れてはならない。
あなた方は、花咲かせることによって、
冷たい風が吹き込み、雪が降り、霜が降り、
そして強い日光を浴びて、
自分たちが滅びてゆくかのように感じているかもしれない。

しかし、そんなものではないのだ。
これから、大いなる使命のために
花咲かせてゆかねばならない時期に来ているのだ、
ということを忘れてはならない。

一輪の花には、一輪の花の幸福があるであろう。
おそらくは、花には花の幸福があるであろう。
しかし、私たちが知っている、その一輪の花の幸福は、
その花一輪が感じる幸福以外のものであるということを、
あなた方は気づくであろう。

花は、花咲かせることに幸福があるかもしれないが、
その花が咲いている姿を見ているものは、
花ではない、人間たちであるということ。
また、動物たちであるということ。
他のものたちが、その花が咲いているのを見て、
幸福を感じているということ。
それを忘れてはならない。

このたとえは、個人個人のレベルにおいても、
大きなレベルにおいても通用することである。
あなた方一人ひとりは、
悟りという名の一輪の花を咲かせようとしているであろう。
その花を咲かせることで精一杯であるように感じているであろう。
そして、自らの花を咲かせることが、
自らの幸福のすべてであるかのようにも感じているであろう。

しかし、それは間違った考え方である。
あなた方が、色とりどりの花を咲かせているその事実を、
多くの人びとが見ているということを忘れてはならない。
人だけではない。人を超えたものたちも見ている。

あなた方一人ひとりが、
どのような心の花を咲かせるかによって、
動物たちや植物たちの運命も変わってゆくであろう。
また、この地球という星自体の運命も変わってゆくであろう。

この大銀河に住むところの人類全体の運命も
変わってゆくであろう。
私たちは、この「幸福」という名の花の、
また「悟り」という別名を持っているこの花の
違った面を忘れてはならない。

ひたすらに咲かんとしているその努力が、
多くの者への恵みとなっているという事実を
忘れてはならない。

自らの幸福を求めて、ひたすらに咲かんとしているその努力が、
実は多くの人びとへの福音(ふくいん)となっているという事実を
忘れてはならない。

これを「利自即利他(りじそくりた)」と言っているのである。
利自即利他の「利自」は、
エゴイズムに生きよと言っているのではない。
それは明らかに、多くの人びとへの愛ゆえに花咲かんとする思いである。

この利自が本当の利自、
「自分を利する」という利自なのである。
真に自分を利するということは、
他人を利するということと別のことではない。
それはひとつのものである。

ひとつのものを内側から見るか、
外側から見るかの違いにしか過ぎない。
「花咲いている」というひとつの事実なのである。
それを花自身がどう感じるか、
まわりの人が見てどう感じるかという、その違いでしかない。
行為としてはひとつしかないということなのである。
これが、本物の幸福の探究である。

それなのに、
何ゆえにあなた方は間違った幸福の探究のために生きるのか、
私はそれを問いたい。
本当に幸福を求めているならば、
それなりの生き方があるであろう。
それなのに、なにゆえに、自らの心を堕落(だらく)させ、
他の人間をも傷つけるような生き方をするのか。

そんなことをして幸福になった人が、
過去ひとりでもいたと思うのか。
いや、ひとりもいなかった。
その見せかけだけの偽物(にせもの)の幸福は、
必ずやすべて仮面を剥(は)がれ、
反省という永き時の淵のなかに投げ入れられてきたのだ。
それを知らなくてはならない。

ゆえに、あなた方は知ってほしい。
私が言っているところの反省とは
いかなるものであるかを。
これは、幸福に入るための近道でもあるということなのである。
自分が真実、幸福に向かっているかを探究するためには、
調べてみるためには、
反省ということをとおさずして、わからないのである。
では、どう反省する。
反省するためには、物差しがいるではないか、
そう思われるであろう。

何が正しくて、何が間違っているか、
それがわからなかったら、
どうして自分の思いを、自分の行為を反省できるのだろうか。
だから言っているのである。
学習が大事だと。
神理を知りなさいと。

---owari---
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