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仏神とは

2018年08月07日 | 人生

あなたがたの多くは、信仰心を持っているであろう。

しかし、その信仰心がいったい何であるか、

十分につかみきっているだろうか。

 

もちろん、信仰には仏神へと向かう大きな念いが入っている。

これなくしての信仰ということはないであろう。

 

しかし、あなたがたは、

信仰する対象としての仏神とは、

いったい何であるかが、わかるだろうか。

 

これが世界各地の宗教において、さまざまに岐れており、

さまざまな名で神を名乗っているために、

さて、何を信じたらよいものやら、

わからなくなっているのが現状であると思う。

 

しかし、諸々の比丘、比丘尼たちよ。

それはやむをえない面もあると思うのだ。

なぜならば、

大宇宙の大霊ともいうべき仏は、遥かに大きく偉大なものなのだ。

そして、人間の理解を超えているのだ。

 

あなたがたの理解できる仏神は、

あくまでも、あなたがたの肉体、

あなたがたの霊知識、

あなたがたの知覚を通して感じ取るところの霊でしかないのだ。

 

しかしながら、

あなたがたの認識を遥かに超えた世界があるということは

わかるであろう。

そのように、あなたがたの認識を超えた力があるということだ。

 

その力は、叡智を含んでいる。

その力は、光を含んでいる。

その力は、愛を含んでいる。

その力は、慈悲に満ちている。

その力は、建設的な念いで満ちている。

その力は、美しい調和に満ちている。

すべて善きものと思われるものを総合した力、

それを仏の力というのだ。

 

あなたがたは、また、

仏と神の違いがわからずにいることも多いであろう。

あえて、その違いを説く必要もないという考えもあるだろう。

 

仏教的には仏といい、

またそれ以外の宗教、キリスト教や、あるいは日本神道などで、

神という概念があるように思われているかもしれない。

 

ただ、これだけは言っておかねばならん。

仏とか神とか称されているもののなかには、

いわゆる高級霊としての仏神、

人格神としての仏神が存在するということは事実だ。

 

仏と呼んでも、神と呼んでも、高級霊を称していることも事実だ。

しかしながら、高級霊を超えるものがあることも事実なのだ。

高級霊というものは、

少なくともかつて地上で肉体を持ったことのある方、

そういう方だと言える。

 

しかし、この天地を創り、大宇宙を創った仏が、

小さな人間の肉体に宿って、

魂修行をするということはないと思ってよいだろう。

その意味において、人間の人格というものを遥かに超えた、

大きな意識があるということは、真実なのだ。

 

こうした言い方は、ある意味で、

あなたがたの、信じるという力を弱めるかもしれない。

しかし、よくよく聞いてほしい。

真実を知るということは、それは力に満ちてゆく行為なのだ。

真実を知ることによって、確信はいっそう強まり、

さらに大いなる帰依の精神というものが出てくるのだ。

 

---owari---

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