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「信仰」とは何か(前編)

2021年07月08日 | 政治・経済
(政治学者トクヴィルが指摘した「民主主義の危険な面」)
民主主義の世界については、*アレクシ・ド・トクヴィルという人が、1800年代の前半にフランスからアメリカに行き、まだ二十代だったのですが、若き政治学者としてアメリカの民主政を研究して、四冊ぐらいになる本(『アメリカの民主政治』)を書いています。そのなかで、面白いことに言及しています。

私は、「今は、民主主義と宗教が対立しがちである」ということも述べましたが、トクヴィルは、「自由ということを考えたとき、宗教があまり強い力を持っていると、『自由を侵(おか)す心配がある』と人々は考えがちだ。しかしながら、アメリカに来てみると、『そうではない』と考えられる」ということを言っているのです。

それは、いったい、どういうことでしょうか。
例えば、イスラム教のような宗教が広がった場合、イスラム教で一国を全部、統治してしまったら、それ以外の宗教は信じることができないようになりがちです。したがって、そういう意味での「国民の自由」がなくなるように見えるところはあります。

ところが、トクヴィルは、「民主主義は、気をつけないと、この世的な幸福ばかり追い続ける傾向が出てくるので、ともすれば唯物論に傾いていく傾向がある。これはとても危険だ」と言っているのです。

「民主主義が唯物論のほうに走っていく」というのは、要するに、「みな、飲み食い、住居、その他、そういったことばかりに中心的な関心が出るので、これはとても危険だ」ということです。

したがって、「唯物論に走られるぐらいなら、むしろ唯心論のほうがいい」とトクヴィルは言っています。「唯心論」というのは「心しかない」という世界です。極端ですが、「むしろ、唯心論のほうがいい。その意味で、宗教心というのは非常に大事だ」ということを言っているのです。

そのようなわけで、トクヴィルは、はっきりと次のように書いています。
「神への信仰がなくなったら、民主主義はこの世的なことばかりを追い求める人たちでいっぱいになってしまい、ともすれば唯物論国家になってしまう。

私は、そのようになるぐらいなら、むしろ、インドの宗教などの、『人々は、ときには豚に生まれ変わる』というような素朴な転生輪廻、奇妙奇天烈な転生輪廻の思想を信じるほうを選ぶ」と。

つまり、「こちらのほうが、まだ、人々を堕落させない考え方だ。『人間には魂があって、人間も豚に生まれることはある』、これはキリスト教徒には信じがたいことではあるのだけれども、唯物論に堕(だ)するぐらいなら、むしろ、私はこちらのほうを選ぶ」ということを彼は言っているのです。

要するに、トクヴィルは、「宗教は一見、自由と対立するようにも見えるけれども、そんなことはない。内心の自由が認められるということは、人間としての価値や認識力が非常に高まることになって、人間が堕落するのを防ぐ力ある」と強く言っているわけです。

―――――
*アレクシ・ド・トクヴィル(1805~1859年):フランスの歴史家、政治家、自由主義思想家。主著に、アメリカ視察旅行の経験に基づいて書かれた、近代民主主義思想の古典とされる『アメリカの民主政治』等がある。

---owari---
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