日下:こんなことがありました。ドイツを旅行したとき、あるホテルで用事を言いつけたドイツ人のボーイに20マルク札を渡したら、釣り銭が10マルクに対する額しかない。「さっき渡したのは20マルクのはずだが」と言うと、「いいえ、10マルクです」とポケットから10マルク札を出して見せるから、「それはポケットが違う」と20マルク札を仕舞ったほうのポケットに手を入れて、「私が渡した20マルク札は、ここに入ってる。みっともない“手品”をするものではない」と言うと、しぶしぶ正しいお釣りを出してきた。
こんなとき、“まあ、いいや”と甘い態度で見過ごしてはいけない。あとから来る日本人のことを考えて、「なめるなよ」という毅然(きぜん)とした態度が必要です。
高山:私も同じような経験があります。新聞記者時代に、インドにいた友人の特派員にコニャックでも差し入れしてやろうと思って、免税店に立ち寄った。近くの店員に、棚に並んだボトルの中から一本を指差して「あれをくれ」と言ったら、持ってきたボトルには値札が付いていなかった。それで50ドルだという。
「私がほしいのはちゃんと値札が付いているものだ」と言うと、「同じものだ」という。「同じなら、なおさら私が指差したボトルを持って来い」と重ねて言うと、店員は渋々持ってきた。値札を見ると25ドル。それで「おまえズルイやつだな。こんなことをしているから、いつまで経ってもインドは発展しないんだ云々(うんぬん)・・・・・」さんざん言ってやった(笑)。
日下さんがおっしゃったとおり、これは些事(さじ)であって、些事ではない。ちょっとした“戦争”です。「金持ち喧嘩せず」ではさらに毟(むし)られるだけで、いまの日本外交を見れば明らかなように、初手が肝心なのです。海外のどこにいても、日本人は侮(あなど)れないと現地の人間に思わせないといけない。そのときは誰でも外交官であり、軍人でもある。
こんなこともありましたね。シリアのゴラン高原を取材で訪れたとき、入植しているイスラエル人と議論になった。ゴラン高原は1968年の第3次中東戦争の結果、イスラエルが占領しているところですね。そこで私は彼らに、日ソ間の北方領土問題をどう思うかと聞いてみた。ちょっと意地悪な質問ですね。もしソ連は日本に返すべきだとなったら、ゴラン高原もシリアに返還しなければならない、という理屈になりかねない。
彼らは何と答えたか。「Aggressor should be punished」と言ったんです。侵略者への懲罰だと。「日本がいつアグレッサーだったのか」と問うと、「日本は侵略戦争をやったではないか」だから「should be punished」なんだと切り返してくる。私は、「先の大戦を君たちに侵略戦争だと非難される筋合いはない」とがんがんやり返して、その席には同じ取材団の朝日新聞や共同通信の記者もいたのですが、もうボケッとしている(笑)。
お互いに譲ることなく、最後は大喧嘩になった。決着はしませんでしたが、こういうときも私は日本人は沈黙したり曖昧な微笑でやり過ごしたりしてはいけないと思う。
そもそも誰が第二次大戦中のユダヤ人を助けたのか。日本はたしかにドイツと同盟した。では、ナチスの批判を一切しなかったか。とんでもない。日独伊三国同盟を締結した松岡洋右外相はこう言っている。
「いかにも余はヒトラーと条約を締結した。しかし私は、反ユダヤになるとは約束しなかった。これは私一人の考えではない。大日本帝国全体の原則である」
日下:「人種差別反対」という日本の原則は守るのだと。
高山:その精神があったから、東条英機はユダヤ人に満州入国を認め、関東軍の樋口李一郎は2万とも言われるユダヤ人を救った。外交官杉原千畝(ちうね)は、リトアニアで出国を望むヴィザを与えつづけた。私がこういうことを話すとさすがに驚いていました。いま世界に流通している第二次大戦の歴史は戦勝国が書いたものなんだから、私たちの沈黙、迎合は永遠に日本の不名誉につながる。
日下:日本は、日本の主張をフェアに評価する人たちと付き合えばいいのです。それで何も困ることはない。われわれのほうが付き合う相手を選べる立場にあることを自覚して、動じなければよい。日本は孤立なんかしませんから、大丈夫です。
高山:日本人としての芯を揺るがせないことですね。
---owari---
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