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国柄はどうあるべきかを国民の歴史慣習に委ねるイギリス

2018年10月14日 | 政治・経済

今日は日下公人著書「新しい日本人が日本と世界を変える」より転載します。

今回は、「『新しい日本人』にとっての憲法観』」というシリーズでお伝えします。

 

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安倍政権の政治日程に上がっている憲法改正について、私なりに少し考えてみる。

そもそも「憲法」とはいったい何か。『広辞苑』を引くと「憲法」は<constitution国家存立の基本的条件を定めた根本法。国の統治権、根本的な機関、作用の大原則を定めた基礎法で、通常、他の法律・命令を以って変更することを許さない国の最高法規とされる>とある。

 

もともと日本には「constitutionに相当する概念はなく、漢語として存在していた「憲法」(たとえば聖徳太子の十七条憲法)という語を、近代(明治期)において当てることが考えられ、これが定着したものだとされる。

 

憲法には「成文憲法」と「不文憲法」があり、前者は憲法が法文(文章形式)によって、表されたもので、日本国憲法も、その前の大日本帝国憲法もこれに当たる。諸外国の憲法も多くが成文憲法である。

 

一方、憲法が文字・文章で表現されておらず、立法機関で制定されたのではない慣習・判例・条理などが法として認められたものが後者である。最も有名なのがイギリスで、「大憲章」「権利章典」「王位継承法」など、部分的に成文化されているが、一つの憲法典としてまとまっているわけではない。

 

歴史的に見れば、統治の手段としての「法」は、もともと慣習法や判例法などの「不文法」として発達してきたが、近代になって立法機関による一定の手続きを経て「成文法」として制定されるようになった。

 

ちなみにその意味では、イギリスはいまも国柄はどうあるべきかという意識を国民の歴史慣習に委ねている。歴史的に培った“常識”や“価値観”を国民の規範にすればよいという考え方で、これが認識できていないと、20166月にイギリスが国民投票で欧州連合EUから離脱を決定した肝心な背景も理解できない。

 

「裁判」の在り方から少し説明してみよう。

裁判官の仕事は、ドイツでは「法の適用」だという。その適用する法はそもそもローマ帝国から来ているから、ドイツの裁判官はラテン語でローマ法を習い、それを法律としてゲルマン人に適用する。

 

ところが独立した島国で歴史が長いイギリスでは、裁判官の仕事は「法の発見」だという。イギリス人はお互いに一千年間、ともに暮らしている。その慣習の心の中に自然法が潜んでいる。その自然法を発見して裁けば、争っている当事者双方が納得する。

 

だから裁判官の仕事は法律書を読むことではなく、常識(コモンセンス)が豊かであることが大事だとされる。争う二人に対して、「我が国は昔からこうやってきた」「これでいいではないか」という“法の発見”が共通了解になっているから、イギリスの裁判はほとんどが即断即決、民事は判事一人で一日十件ぐらい裁いてしまうらしい。

 

---owari---

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