(人間は、「自分がのめり込むもの」に近づいていくから)
出版社としては、「やはり本は大事だ」と言い続けなくてはいけません。そうでないと、もうすぐ本はなくなります。「南のほうの木が伐採されて、山が裸になるのはもったいない」という感じで言われると、“消されて”しまいます。
一方、電子書籍的なものは、場所を節約するためにも、一定の量は必要になるとは思うのですが、それには「知的な所有感」がありません。そのため、寂しいのです。
人生において読める本の数はそれほど多くはないので、せっかく読むのであれば、やはり、じっくりと、線を引きながら、紙の本を手に持って読みたいものですし、ときどきコーヒーでも飲みながら読むようなかたちで、“リッチな空間と時間”を使いたいものです。そして、単に情報を取るだけでなく、「本に書き込みをしたりすること」も大事なのではないかと思うのです。
私はそう思うのですが、「都会の場所代がもったいない」と思う方の場合には、それを節約するのも、ある程度しかたがないかとは思います。
ともかく、いろいろなところに仕事のヒントや人生のヒントがあるのですが、「どういうソース(源泉)から、それを取ってくるか」ということが大事です。
人間は、「自分がいちばんやっているもの」に近づきます。
例えば、テレビをよく観る人は、テレビ番組をつくったり、テレビに出たりしやすくなりますし、映画をよく観る人は、映画をつくったり、あるいは映画についての評論を書いたりしやすくなります。また、小説をよく読む人は、小説を書きたくなったりするようになるものなのです。
「自分がのめり込むものに、だいたい、自分は近づいていくものだ」と考えればよいのではないかと思います。
(「読書力を上げるための活動」で文化の逆流を起こそう)
とにかく、月に一冊ぐらいしか本を読まない文化では、頭の活力は弱ってくると思われます。また、読む速度が遅すぎたりするので、「読み方」「読書法」についても、出版社はもう少し啓蒙しなければならないのかもしれません。いろいろなシチュエーション、状況と、自分の必要度に合わせて、読み分けなくてはいけないのです。
時間があまりない場合には、次のような読み方もあります。
例えば、「電車に乗っている時間が40分なら、『この本を40分で読み切る』と決め、パッと目次を見て、大事そうなところはしっかり読むけれども、あとはサッと読む」という方法もあります。
あるいは、井上ひさし風に「最初のほうに関しては、ゆっくりと読んでいき、感じがだいたい分かってきたら、途中から速度を上げてサーッと読む」という方法もあります。
このように、読み方はいろいろあると思います。
大別すると、「情報読み」と「内容を知的に発掘する読み方」の両方があると思うのですが、適宜、使い分けたらよいと思います。
「冊数は少なくても、良書だけを集めて、じっくりと読める人も幸福だな」と私は思うのです。「本当によい本を、100冊、200冊、300冊ぐらいでよいので、一棚、じっくりと繰り返し読める人もまた幸福ではないか」と思っています。
ただ、知的欲求がそれだけでは止まらない人は、“もっと先”へ行ってもよいのです。
本に関しては、“文化の逆流”を起こさないと、出版社が要らなくなる可能性は高いと思います。
人生は、その密度と継続性によって、当然ながら、大きな成果の違いが出てくると思うのです。
ここまで、21世紀型知的生活と、健康法についてお伝えしました。
---owari---
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