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日本国憲法は単なる「戦後体制」のスローガン

2018年10月15日 | 政治・経済

日本の長い歴史を眺め直し、それが培ってきた日本人の常識や慣習を思い起こせば、日本には必ずしも「憲法」は要らないのではないかと私は考えている。

 

プロイセン憲法を参考に伊藤博文や井上毅(こわし)らが起草したものが戦前までの大日本帝国憲法だが、これは明治初期の近代化・西欧化という時代の要請に、大急ぎで「近代国家」としての体裁を整える必要に迫られての憲法だったと言ってよい。

 

「憲法」は要らないと私が言うのは、文字や文章にわざわざ表して制定しなくとも、もともと日本人には歴史に培われた日本人としての規範があったはずだと思うからである。

 

それをまずはっきりと自己のうちに見出すことが大切で、そうした根本における自意識が、戦後の日本人には著しく欠けている。日本人の歴史慣習や伝統に合わないものならば、それは日本という国の憲法にはふさわしくない。それだけのことである。

 

日本国憲法の出自については多くの国民が周知である。学校秀才はともかく、大方の庶民は日本国憲法が日本人のこころ、国柄に合っていないことに気づいている。

 

国民主権、平和主義(戦争の放棄)、基本的人権の尊重といった人類の理想がいくら並べられても、これは偽善的なもので、本来の日本人のこころ、国柄を反映したものではなく、占領軍が日本人を制御するために着せた、ある種の拘束具だとわかっている。それを脱ぎ捨てることを宣言すれば、旧戦勝国が警戒するとわかっているから自制している。

 

極端に聞こえるかもしれないが、日本国憲法は単なる「戦後体制」のスローガンである。スローガンの心酔者はたくさんいて、彼らは「憲法を守れ」と声高に叫ぶが、それが戦後の日本をどれほど貶(おとし)めてきたかに気づくことはない。

 

そのことに気づいている「新しい日本人」は、憲法が事実上無視されることがあっても、そもそも守るべき必要があるとは思っていないから、憲法以前の日本人の常識や価値観でモノを考えている。

 

日本国憲法第九条<戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認>を、その文言どおり厳密に受け止めるとすれば、第二項にある「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という“制約”を、今の日本が守っているとは言いがたい。

 

いくら軍隊を自衛隊と言い換えたところで、軍備であることに変わりはないし、国民は、「有事」の際には自衛隊がちゃんと機能することを暗黙にも信じている。それは平成27年の安全保障関連法案を「違憲」と訴えた学者たちも変わらないはずだと思う。

 

「武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」のだとしても、「自衛権まで否定しているわけではない」などという条文解釈を政府が繰り返す前に、実は国民にはわかりきったことである。日本人は憲法の条文違反を承知している。と同時に、それが憲法以前の日本人の常識になんら反しないとわかっている。いったい誰が自らを守る権利を一方的に封ずることを了とするか。

 

憲法を改正してこうした矛盾を正そうという動きが出てくることは、スローガンに心酔しないかぎり当然である。しかも日本国憲法のスローガンは日本人が望んだものではない。大東亜戦争に敗北した日本が、二度と米国の脅威とならないように、国際社会で名誉ある地位を占めることがないようにとGHQによってプログラムされた“洗脳”手段である。いつまで自ら拘束具を着つづけるのか。

 

たしかに、我が国の周辺国が、憲法前文にある<平和を愛する諸国民>ばかりであれば、その<公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう>とすることも可能かもしれない。だが繰り返すが、そのような実態はないのである。

 

<われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信じる>という文節も、いったい、どこの国の目的を語っているのかわからない。

 

文章から見ただけでも、日本国憲法は日本人のものではないことがわかる。「普遍的な人類」に向って日本人が溶けてなくなっていくのならともかく、それを望む日本人がどれほどいるだろう。日本人の心根からは遠く、矛盾や齟齬(そご)を抱えた日本国憲法を日本人は守る気がない。守る気がないのならば廃棄してしまうがよい。「日本国憲法は廃棄します」と国会決議をすればよい。

 

国会決議とは、衆議院または参議院が国権の最高機関として国政上必要とされる事柄に関して出す決議であるとされる。法律とは別に本会議で可決されるものだが、政府声明と同じく法的拘束力を伴わない。

 

法的拘束力を伴わない決議に何の実効力があるのかと言われそうだが、“国是”といっている「非核三原則」も、「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(不戦決議)も、この国会決議による。ならば、「廃憲」のための決議がなされてもよい。

 

---owari---

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