今日はフランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書「日本待望論」よりお伝えします。
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「変貌(へんぼう)」ということで語ってまいりましたが、しかし、それは一つのプロセスであるということなのです。プロセスである以上、終わりがあり、諸価値が内側から生きられるときをもって変化は終了するということであります。
これは言い換えれば、貴国にあって、心身ともに一分の隙もなく伝統に密着して生きる人であれば、男であろうと女であろうと、真実の日本が新世界で存続していくためにはいかにあるべきか、このことが却(かえ)って誰よりもよく分かるであろう、ということになります。そのような日本人にとっては、日本が纏(まと)うべき新しい衣が、ありありと見えているに違いありません。
一例として、美術の領域で、私は前田常作のことを考えます。ご存じのとおり、前田画伯は、欧米の前衛芸術から影響を受けながら、ヨーロッパから帰国すると、真言密教の精神から発した壮大な宇宙像を織りあげることに成功した大画家です。
読経と霊場めぐりを欠かさず、それでいて、その描きあげる作品は、古い曼陀羅の機械的反復に陥ることなき、独創的なものです。
たしかに、内側から日本の伝統を厳しく生きる人々こそは、日本を救うことのできる人々でありましょう。日本の政治家は、よく「ミソギ」と言うようですが、どこやらの滝に送り込んで本物の禊(みそ)ぎをさせたら、どんなものでしょう。
神々のご加護がありはしないでしょうか、心機一転をはかるうえにも。もちろん、ありますとも!そして、滝だけではありませんぞ、功徳があるのは。森なかを歩かせ、厳を攀(よ)じ、石庭で瞑想させるのです。こうして、生まれ変わることが、なによりも先決です。
ああ、悲しいかな、貴国において私は、もはや魂なき形骸(けいがい)のみをしばしば見せつけられてきました。なるほど、神社には詣でる。つまり、写真を撮り、柏手を打ち、おみくじを引くために。さもさん、意味如何に?岩上、水の流るる如し・・・・・。
ここから、私たちは、いつも同じ現実の問題に立ちもどってきます。意志は、動き続ける有機体に適用されてこそ有益で、しからずんば、破局を招くということです。生きた文化の伝達が大切であるのは、このためで、伝達方法も分かっています。両親、師匠、学校、メディアです。今後、日本文化の伝達法について抜本的革新がなされないかぎり、早晩、形骸のみが残る危険に見舞われるでありましょう。
抜き差しならぬ重要な問いが、ここで課されてきます。かりに新生ニッポンが生れたとして、これをあなたがたはどうするおつもりでしょうか。
この問いに私が答えるとしたら、身のほど知らずの放漫ということになりかねません。第一に――貴国ではどんなにそのことが大事であるか知っております――私は「ガイジン」だからです。たしかに、異邦人にとって、日本の現実を完全に把握するということは絶対に不可能な話です。
第二に、一つの国は、あらゆる生きた器官と同様に、自己とそれを取り巻く諸現実に依存した動態であります。言うまでもなく、日本の将来は、中国とアメリカとロシアの進展と切っても切り離せない関係にあり、韓国も忘れるわけにいきません。
万が一にも朝鮮半島が統一されれば、朝鮮は貴国にとって手強い相手となること必定で、日本はよほど巧く立ち回らねばなりますまい。とてもそんなところまで私共に見えるはずもありません。
以下に私はニ、三の提案をさせていただきたいと思います。軽くご相談申し上げるといった程度のことで、けっして万位漏れなき提言などといったものではありません。
何度も申しあげますように、私は、日本国を崇高な姿をもって思い浮かべ、深い敬愛を日本民族に対して寄せており、ひとえに皆さんがその本姿にふさわしくあってほしいと願うところから、この挙に出たことでありまして、他意はまったくありません。
どうか、その資格において、親愛なる読者諸賢よ、つたなき一介の「南蛮人」の尊大に対しまして格段のご海容を賜りますように。
---owari---
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