(志が高い人は、謙虚にならざるをえない)
「謙虚さ」といっても、基本的には、やはり、「志の高さ」だと思います。志が高い人は、謙虚にならざるをえないのです。すぐに“天井”に頭が当るような人は、志が低いので、すぐに慢心するでしょう。
例えば、普段は謙虚な田舎の人でも、気をつけないと、ちょっとした成功ですぐにグーッと出来上がる傾向のある人がいます。普段は、「謙虚さ」と「劣等感」の違いが分からないぐらい謙虚なのですが、ちょこっとしたことで、ものすごく“偉く”なってしまうのです。
これは、都会の人が見たら、「何を威張ってるの?あの人」と思うようなところがあります。そのように、小さいことで、ものすごく威張る癖がある人は、志が少し足りないのではないでしょうか。
(宗教は何歳からでも始められる「生涯学習」)
宗教の世界においては、みなが横に一直線です。機会は平等です。仏性も平等です。要するに、「早い遅い」は関係ないのです。
例えば、人によって、「二十歳で信仰に目覚めた」「六十歳で目覚めた」といった時間の違いはあるでしょうけれども、目覚めたときがチャンスなのです。
六十歳でも七十歳でも、そこからまだまだ追いつけます。七十歳からでも菩薩になることはできます。七十歳で初めて教えを知った人が、そこから頑張って勉強して、菩薩になるということもありえるのです。
もちろん、二十歳から宗教をやっている人は、長くやっているだけ偉いということはありますが、そうでない人にも、まだまだチャンスはあります。
つまり、宗教というのは、ある意味での「生涯学習」なのです。
(地道に、勤勉に前進していこう)
少し話が飛びますが、東北の人は、会話が苦手で、商売トークが下手だったりと、何らかの劣等感を持っている人が多いように聞いています。しかし、負けないでほしいのです。そして、地道でもいいので、謙虚に努力して、前進しようとすることが大事だと思います。
劣等感で悩んでいる人は多いと思いますが、劣等感のない人間などいません。劣等感がないかのように吹聴して自慢する人ほど危なく、“怪しい”と見ていいでしょう。そういう人は、たいてい、何か大きな劣等感を持っているもので、劣等感の少ない人は、かえってそうしたことを言わないものです。
人をたぶらかしたり、嘘をついたりする暇があったら、やはり努力をしたほうがいいと思います。ですから、私は「勤勉」を勧めるのです。
(学問も仕事も信仰も、努力の積み重ねが実力になる)
仕事でも同じことです。人と同じような仕事を漫然としていては駄目で、毎日、工夫することです。書類仕事であろうと、お客様仕事であろうと、「どうしたら仕事がもう少しよくなるか」と考えることです。
接客業であれば、「どうしたらお客様に、もっとよい感じが与えられるか。お客様に喜んでもらえるか」ということを、毎日考え続けるのです。お客様に喜んでもらえるような商品説明をするための勉強もあるし、マナーや勧め方もあります。
こうしたことを努力するのに、小卒も中卒も高卒も大卒も関係ありません。努力の積み重ねです。それが実力になるわけです。
どうか、あまり早く、自分に“烙印”を押さないでください。要は努力の積み重ねです。学問でも仕事でも、勉強の積み重ねです。
また、もしかしたら、「自分は能力がない、自分は後れている」と劣等感を持ったこともあるかもしれません。しかし、真面目に続けていれば、それぞれが行くべきところまで行きますので大丈夫です。
(ハッピーになるためのポイント)
・「学ぶ習慣」には人間を変える力があると信じる。
・劣等感をバネに、「自分の道」を定めて努力を重ねていく。
・“エリート道”から外れても、成功する道はあるので諦めないこと。
・細切れの時間を使ってコツコツと努力し、やがて来るチャンスに備える。
・宗教は何歳からでも始められる「生涯学習」と心得る。
---owari---
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