(「耐え忍ぶ力」なくして、後世に遺る仕事はできない)
「忍耐力」について述べてきましたが、この「耐え忍ぶ力」というものは、けっこう大きな仕事をするのです。
後世に遺るような仕事をしたければ、「耐え忍ぶ力」はどうしても必要です。なぜなら、後々に大きな影響を与えるものであればあるほど、同時代においては評価を下せないものが多いからです。
その評価を下せないものをやり遂げるには、勇気も要るし、決断力も要ります。それと同時に、「耐え忍ぶ力」がなければ、とてもではないけれども、やっていられないところはあります。「耐え忍ぶ力」なくして、何か大きなものを成し遂げるのは無理なことなのです。
例えば、社会人の出世ということでも、おとなしくじっと我慢(がまん)できる人が、何となく、後々、出世していくように見えることもありますが、それも、現実には「耐え忍ぶ力」があるのでしょう。
そして、そういう人のなかには「観察者としての目」があると思います。常に、いろいろな人の仕事を見、あるいは上司が言ってきたことなどを聴いて観察しながら、自分なりに磨(みが)いてきたものを溜(た)めていくようなところがあったのではないかという気がします。
しかし、現代的な成功の仕方を目指す人は、「二十代ぐらいでだいたい固めて、四十代ぐらいにはもう亡くなってしまうのではないか」と思うような急ぎ方をすることもあるので、気をつけなければなりません。
(バーンアウトして燃え尽きないための心構え)
人生には何度か節(ふし)があります。その節を乗り越え、さらに次の節までの間、頑張り続ける力が要るのです。
では、その節から節へと移行していくには、どうしたらよいのでしょうか。
そのためには、成果があがるような何かに打ち込んでいるのはもちろんのこと、その間に、自分の持っている才能のなかで可能性があるものを温めていくことです。今、一生懸命に掘り込んでいるものがありつつ、それ以外のところでも、何か可能性があるものを少しずつ少しずつ勉強し続けることが大事なのではないかと思います。
農業でたとえるならば、こういうことです。農業には、二毛作(にもうさく)やお米の二期作があり、畑と水田の両方をやるところなどもありますが、こうしたものは、気候に恵まれ、農耕法も十分に確立していなければ、なかなかできないところがあります。
一方では、昔のやり方のように、田畑の生産性が落ちてきたら休耕田(きゅうこうでん)にして、だんだんに栄養が溜まっていくのをしばらく待つような、自然に任せたやり方もあるかと思います。
人生においても、たいていはそうでしょう。何かをやり遂げようと全力投球しているときには、力いっぱいやるのですが、昔から言われるように、どこかでバーンアウトして、燃え尽き症候群になることがあります。いっぱいいっぱいまでやって、それでもう力が尽きてしまうようなことがあるわけです。これが、才能はあると思われても、消えてしまう人が多くいる理由の一つです。
そういう人は、なぜかバーンアウトしてしまうのです。百メートル走であれば、百メートルしか走らないと思っているから全力で走るわけですが、もし、百メートルを越えたあとに「もう一回走りますよ」と言われたら、急に困ってしまうようなものでしょう。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます