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天皇訪問を歓迎したパラオの人々

2022年01月27日 | 日本
この章は、「歴史が証明する日本の力」について、お伝えします。
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戦後70年を迎えた2015年の4月8日、南洋諸島のパラオを天皇皇后両陛下が訪問され、晩餐会の場で次のように述べられました。

<ミクロネシア地域は第一次世界大戦後、国際連盟の下で、日本の委託統治領になりました。パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。

クニオ・オカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。

しかしながら、先の戦争においては、貴国を含むこの地域において日米の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、多くの人命が失われました。日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。

また、私どもは、この機会に、この地域の人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に慰霊碑や墓地の管理、清掃、遺骨の収集などに尽力されたことに対して心から謝意を表します>(宮内庁ホームページより)

そして9日にはペリリュー島で慰霊碑に献花されましたが、現地の人々はそんな両殿下を大歓迎したのです。その事実を見ても、日本による統治が現地の人々にとってどんなものだったかが浮かび上がってくるでしょう。

そもそも日本は統治をまかされた地域を「植民地」とするのではなく、「独立支援」を基本方針としていました。ですから第一次大戦後、国際連盟がつくられ、戦勝国同士がドイツの植民地をどう分割して自国のものにしようかと話し合っている秘密会議に出席した新渡戸稲造は、「日本は植民地化して自国のものになどしない」と言って、委任統治を選択する道を選びます。「日本は委任なら受けてもいい。ただし、それは将来の独立のためだ」と主張して、国連の場でそれを認めさせたのです。

その結果、ニューギニアの赤道より北、グアム島を除くマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島は「日本委託統治南洋群島」となり、行政庁として南洋庁が設置されることとなりました。

パラオは1855年にスペインの植民地とされていましたが、あっという間に人口が90%も減少したと言われています。スペイン人によって天然痘などが持ち込まれたことや、スペイン人による略奪や殺戮(さつりく)が原因でした。

そして1899年には、国力が弱ってきたスペインは、パラオをドイツに450万ドルで売り渡しましたが、その後も現地の人々がつくるココナッツ、タピオカがもたらす富はドイツ人に搾取され放題でしたし、ドイツはそこを流刑地として、ドイツの軍艦がときどきやってきては流刑者を置いていくばかりでした。

ところが、日本の統治が始まると、現地の人々の生活は大きく変わっていくことになりました。日本は、学校・病院・道路などインフラの整備も重点的に行って、現地の人々の自立を促したのです。

後に『山月記』などの作品を発表することになる中島敦は、現地用の教科書編纂のため南洋庁の書記として赴任しますが、「基礎的な日本語がわからないうちに日本の歴史・地理・理科などを教えるのは島民児童や教員への負担が大きく困難だ」として、その三科目を除いた教育に変更したことなどを家族への手紙に書き綴っています。

それがまさに日本による統治でした。それは島で暮らす人々に受け入れられ、感謝されていました。だから、天皇皇后両陛下を熱烈に歓迎したのです。

ちなみに日本が戦争に負けた後、アメリカによる信託統治が始まりましたが、それらの島々に救援物質を山のように配るばかりで、産業開発にはほとんど金を出しませんでした。そればかりか、マーシャル諸島のビキニ環礁では、1946年から1958年にかけて住民を強制的に移住させ23回にも上る核実験を行いました。

アメリカは南洋諸島の人々の人権など何も気にしていなかったのです。パラオが正式に独立できたのは1994年ですが、パラオの人々が未だに日本統治時代はよかったと懐かしむのは、そういう理由があるからなのです。

(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)

---owari---
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