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桜はなぜこれほどにも美しいと感じるのか?(後編)

2016年04月10日 | 日本

さて、日本や桜について外国人の方の感想はどうなのでしょうか。

 

外国人観光客の皆さんは、「日本は美しい国」であるとおしなべて高い評価をいただく。

この「美しい」という意味にはさまざまな要素が入っているように思われます。

ひとつには「伝統や文化の美」と言うことだと思います。たとえば、世界最古の木造建造物である法隆寺をはじめ、大きな戦乱の少なかった日本には、奈良京都を中心に古い神社仏閣が多く、それに伴った文化や芸術品も数多く残っています。

 

日本の「伝統や文化の美」には、長い年月がなければ醸し出すことのできない「荘厳さ」「美しさ」そして、それを長年、何代にもわたって守ってきた日本人の心が、現存する芸術や文化の中に映し出されてきています。この「伝統や文化の美」は、もちろん他の国にも歴史のある建造物や史跡はたくさんあります。しかし、日本独特の文化や様式の美しさは、日本にしか存在しないものなのです。

 

また、ほかの意味での「美しさ」もあります。

よく言われるのが「秩序と規律の美」と言うことではないでしょうか。日本人の秩序と規律に関しては、震災の大変なときにも秩序だって列を作って配給を待つ被災者の皆さんの話が世界に知れ渡り、そのような非常事態のときでも、日本人は世界を感嘆させるくらいの秩序や規律性を重んじる部分を今もなお持っているのです。

 

しかし、そのような非常時でない、もっと身近な日常の部分にもそのようなところが見えるのです。たとえば、「道にごみが落ちていない」とか「自転車置き場の自転車が整然の並んでいる」など、われわれ日本人が毎日目にしていて「当たり前」と思うことが、外国の人々からは「整然として美しい」と感じる部分があるのです。

 

外国人観光客の方にカメラを渡しておくと、さまざまなところにレンズを向けてシャッターを切っています。もちろん浅草の雷門など、観光名所などで記念撮影をするのは、日本人も同じですが、日本人ならばなかなか写真を撮らないところ、たとえば、公衆便所がきれいだったから、または、拝観をするときに下足を脱ぐが、その下足が整然と並んでいるからとか、または、公園のゴミ箱にごみを捨てる子供の姿が自分の国では見ることができないなど、外国人が「美しい」と感じる日本人の行動は「整然」「秩序」「清潔」というような単語であらわされる部分が少なくないような気がします。

 

しかし、なんといっても「日本が美しい」という言葉でもっとも強く言われるのは、「自然の美」ではないでしょうか。日本は、日本人にとっては当たり前になっていますが、世界では珍しく「四季」のある風土を持っており、また、緑が多く、砂漠化したところの少ない、水の多い国土なのです。日本人にとっては当たり前のことが、外国から来た人々にとっては非常に美しく感じるのです。

 

日本人がハワイなどでハイビスカスやオランダのチューリップを見て「日本にはない美しさ」を感じるように、外国のお客様は、日本に来て「自分の国にはない美しさを」感じるのです。

日本の四季には四季折々の「色」があります。冬はやはり「雪の白」そして、春は「若芽の淡い緑」または「桜のピンク」、夏は抜けるような「空の青」そして、秋は「紅葉の赤」と言った感じでしょうか。他の色を想像した方も少なくないかもしれません。しかし、日本人の場合、四季折々にその里の色を思い浮かべることができます。

 

赤道直下など四季のない国ではなかなか感じることができないのではないでしょうか。そして「色」を感じるだけでなく、その色から、さまざまなことを連想し、そしてさまざまな事を感じることができる。それこそ、もっとも大きな日本人の財産なのかもしれません。

 

桜は、周りに葉をつけることなく、桜の木一面がピンク色に花が咲き誇ります。その美しさは、日本人だけでなく、外国の方も見ていただければすぐに理解できるでしょう。一面がピンク色になった満開の桜の花は、まさに日本の美しさの象徴であると言えるのではないでしょうか。

 

(外国人観光客の桜や花見の感想)

・日本の桜って綺麗過ぎるよ、もう感動しちゃうくらい凄いね。

・日本のお花見文化って素晴しいね!

・私はお酒を飲みながらお花見を楽しむのは本当に素晴しいことだと思ってる。 自分の住んでるとこではお花見が出来ないのには本当に嫉妬しちゃうよ。

・アメリカのポートランドには、桜並木があって、日本から寄贈されたって書いてあった。だけど、アメリカで桜を見るのと、日本のお花見とでは、全然違う。

・「HANAMI is wonderful(花見は素敵だよ)。家族や友達と地面に座って昼間からお酒を飲めるっていいよね。オーストリアでも花見は知られているけど、まだそういう文化はないかな。

 

「春」は新たな季節の始まりです。

3月から4月にかけて、ちょうど日本は「花見」のシーズンになります。春の季節の「桜のピンク」は、まさに日本を代表する美しさであり、そして春の象徴的な色でもあります。

日本の場合、雪に閉ざされた里から、徐々に若芽が芽吹き、そして梅の花の香りがほんのりとわれわれを包み、次に桃の花がまさに「桃色」の花でひな祭りを祝い、そして桜が満開を迎えると言うことになります。東北や北海道では、雪の季節から一気に暖かくなるので、桃と桜が同時に咲いたりもしますが、それはそれで、東北の風情と言うものではないでしょうか。

 

しかし、梅・桃・桜と続く花でも、「花見」と言えば「桜」です。日本人は花といえば桜という感覚が根付いています。他にも花はたくさんあるのに、桜は日本人には特別な感慨を持った花であるということができるのではないでしょうか。

 

日本人は「桜」が咲くと「春が来た」と思います。日本では季節の変わり目に「節分」があります。現在では2月の初め、立春の前日を節分というのですが、本来は、「季節の分け目」の日であるから節分になるのです。

 

この節分には、「鬼は外・福は内」と掛け声をかけて豆をまき、そして、柊の枝に鰯の頭を刺したものを、宮中の土人形の代わりに飾ったり、あるいは恵方巻きを食べたり、と言うことを行っています。では、なぜ「春の節分」だけが現在まで残ったのでしょうか。

 

これは日本人が「稲作を中心にした農耕民族」であることが非常に大きく関係しています。

日本では、古くからお米づくりをつかさどる田の神の存在が信じられてきました。田の神は、冬は山に住んでいて、春になると里に降り、稲の成長を見守り、豊作をもたらしてくれると考えられています。田の神が里で宿るのが桜の木とされ、桜の開花は田の神が降りてきたことを告げ、田植えの始まりを知らせるものでした。

 

古代の花見はその年の豊凶を占う農耕儀式であって,桜の花に宿った神々とともに豊かな稔りをあらかじめ祝うためのものであったとの説もあります。「古事記」には桜の木で亀甲やシカの肩甲骨を焼いて,そのわれ具合から吉凶を占っていたとの記述が残っており,呪術的にも桜は重要な役割を果たしていました。

 

では、「桜」はなぜ「サクラ」と言うのでしょうか。

日本では、稲の神様を「サ」といいます。ですから、稲を植える女性を「サ」「乙女」要するに「早乙女」と言いますし、稲の神様のお食事は、「サ」の「餉(ケ)」で「サケ」、要するに「酒」といいます。よく神社などで使われる「サ」の「垣」を「サカキ」要するに「榊」を使って、神様と人間の住むところを分けているのをご覧になった方も少なくないのではないでしょうか。

 

さて、では神様は、里に下りてきたときにどこにいるのでしょうか。「サ」が座る場所「座」があります。この「座」と言う文字、天皇陛下が儀式を行う場所を「高御座」とかき「タカミクラ」とよみます。まさに「座」を「クラ」と読むのです。そこで「サ」の「クラ」で「桜」、要するに、神様がいらっしゃる場所として、「桜」があるのです。

 

春になると、さまざまな植物が芽吹きそして新たな命が生まれます。その新たな命は、神様によって与えられると考えられていました。その神様は、桜の木に「座って」しばらくいらっしゃり、そして、桜が散る頃に、雪解け水のきれいな川沿いに土筆などの若芽に命を吹き込むのです。

神様の与えた命で、植物は強く育ってゆきます。そして、人々に恵みを与えてくれると考えていたのです。

 

植物が育つ、もうひとつの重要なものが水です。だから、神様がお休みになられるところは水辺が良いのです。それだけでなく、神様がいらっしゃった桜の花びら、散って水辺に浮かびます。桜の花びらは、それまで神様が座っていたところですから、当然にきれいなはずです。要するに、水辺に桜を植えることによって、桜の花びらが散って水に浮かぶことによって、そこの水も浄化すると言うことが考えられていたのです。

 

神様が与えた命に、神様が座った花びらで浄化された水、まさに日本の神様の力の結晶であると言うことになるのです。

春は、このように、日本においては神様が植物に新たな命を授けるとき。そして、その神様が里に下りてきて、厳しい冬を追いやり、そして暖かい太陽をつれてきます。その神様がいる場所が「桜」であり、そしてその神様のいる植物の美しさが「桜の花」と言うことになるのかもしれません。その神様は忙しいので、すぐに次の場所に行ってしまいます。

 

そのために、国生みの伝説のある高千穂を含む九州から、徐々に東に、そして北に移動してしまうのです。今の世の中で「桜前線」と言っているものは、昔の「神様が通った道筋」と言うことになるのではないでしょうか。

 

そして、桜の花が咲いているものを見て、昔の日本人は「神様」と「春」の訪れを感じていたのかもしれません。そして、神様が宿る桜の花を見て、やはり体の中から新しい命を芽生えさせる女性を連想させ、そして、また、日本人全体の命や精神性までも感じていたのかもしれません。

日本で「花」と言えば「桜」。まさにそのことは、日本のこのような伝統や文化そして日本人の精神性からきている話なのかもしれません。

 

外国人観光客の皆さんは、「日本は神の祝福を受けている!」と羨みます。

私たちは日本の神々が守護する素晴らしき日本列島に住まわせて頂いていることに、大いに感謝したいと思います。

 

---owari---

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