諸人よ、これより後、
あなたがたは、修行するのみではならない。
あなたがたは、単に自己修行のみに生きてはならない。
あなたがたが、修行をする姿そのものが、
多くの者たちを目覚めさせるものでなくてはならない。
あなたがたの修行が、
修行するあなたがたの群れが、
世の中を変えてゆくものでなければならない。
私は、そう思う。
欲望によって成り立っているこの社会を変えてゆくものは、
欲望によっては成り立たないものであろう。
欲望によって混乱している社会を変えてゆくものは、
執着を離れた人びとの行動であろう。
私はそう思う。
真の執着とは、それは仏への道を志すこと。
この大いなる真の執着は、何人も持ってよいものである。
されども、偽りの執着とは、
この地上のみに、自らの身を置き、
この地上においてのみ、自らの栄達を求め、
この地上においてのみ、自らを生きやすくせんとする心である。
このような偽りの執着を捨て去り、
大いなる執着を、
真なる執着を、
仏へと向かう執着を持つことは大事だ。
執着という言葉は悪いかもしれないが、
執着ということは愛着と言い換えてもよい。
いや、強い牽引力と言ってもよい。
強い結び付ける力と言ってもよい。
仏へと、限りなく自らを高めてゆく力と言ってもよい。
さすれば、あなたがたはこれより後、
この世の中の在り方を変えよ。
この世の中の姿を変えよ。
この世の中の仕組みを変えよ。
唯一の力によって。
大いなる仏と一体化する力によって。
そうして、この世的なる執着を断った平和な心によって。
世の中を変えるに、
革命をもってするという人もいる。
暴力をもってするという人もいる。
流血をもってするという人もいる。
しかし、私はそのような考えをとらない。
世の中を変えてゆくには、平和な心が大事である。
調和の心が大事である。
もし、暴力によって国家が覆ったところで、
その新しい国家もまた、いずれの日か暴力によって倒されるであろう。
流血によってなされた革命は、
やがておびただしい流血を招き寄せるようになるであろう。
そうであってはならない。
世の中を変えてゆく時に、
あくまでも心の平静を大事にしなければならない。
心の平安を大切にしなければならない。
調和を基準として世の中を変えてゆかねばならない。
調和そのものをおしすすめることによって、
世の中を変えてゆかねばならない。
極端なるものを去り、調和を中心とし、
すべてのものが栄えるをもってよしとせねばならない。(仏法真理)
---owari---
コメントをいただき、有難うございます。
ご意見のとおり、社会の諸問題の原因は人間の貪欲によって混乱していることにあると思います。この混乱している状態を、状況を私たちの行動で、エネルギーで浄化していかなくてはならないと思います。
私たちの力は小さいですが、力を合わせて、根本原因を一つひとつ解消させてゆきたいですね。