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ねじ曲げられ、失われつつある日本の建国神話(前編)

2020年07月21日 | 日本
(宮崎のホテルに常備されていた『古事記』)
以前、宮崎県のホテルに宿泊したときのことです。ホテルのベッドの横にあるテーブルの引き出しを開けると、『聖書』と『仏典』と『古事記』が出てきたのです。それで、「さすが宮崎だな」と思ったことがありました。

そこに『古事記』が入っているのは、実に正しい判断です。私は全国各地のホテルに泊まっていますが、ほかのところでは、『古事記』を見たことがありません。

そのように、ホテルのテーブルから『古事記』が出てきたので、「ほう、これは読まないわけにはいかない」と思って読んでみました。私は、ほかの『古事記』もたくさん読んでいましたが、宮崎のホテルに常備されていた『古事記』がいちばん分かりやすく書いてあり、立派でした。

『古事記』とは、日本の成立史を書いたもので、712年に成立しました。それから、720年には、『日本書紀』が成立しているかと思います。「『古事記』は神話の部分が比較的多い歴史書で、『日本書紀』のほうは神話の部分がやや少なく、事実の部分が多い歴史書である」と言われていますが、ホテルに置いてあった『古事記』には、物語が分かりやすく書いてあり、『聖書』『仏典』と並べても恥(は)ずかしくないようにつくってありました。

(「神話を持っていない国家」は民族の誇りを失わせる)
その『古事記』のまえがきには、「十二、三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅(ほろ)んでいる」という、歴史家のアーノルド・トインビーの言葉とされるものを引いて、「だから、神話を学ばなければいけない」と書いてあったので、「実によい言葉だ」と私は思いました。

その言葉に基づけば、今の日本は、「十二、三歳までに神話を学ばない時代」に入りつつあるので、危ないです。神話を学んでいない人たちが今、政治をし始めたり、社会活動をし始めたりしています。学生たちもみな、神話をあまり学んでいないので、極めて危険です。

歴史の大きな流れである通史などを見ても、「貝塚があった」「農耕が始まった」「栗の実を潰(つぶ)して“せんべい”にした」などという話から、突如(とつじょ)、古墳時代になり、律令国家が始まるような感じで、その前の時代が切れているのです。

要するに、「神話」「神代の時代」については、ほとんどカットしています。まるでつくり話のように、全部、取ってあるのです。これは由々(ゆゆ)しき事態であると私は思います。

「神話を持っていない国家」というのは底が浅く、民族への誇(ほこ)りを失わせるものがあるのではないでしょうか。

例えば、アメリカ合衆国は比較的新しい国であるため、「建国神話」といえるほどのものがありませんし、現実に生きていた人のことしか分からないのでしょうが、「神話の時代があると、国の重みと厚みが全然違う」ということを知ってほしいと思います。

その意味では、やはり神話のある地元が頑張り、神話を護(まも)らなければいけません。そういう場所には、あちこちに神様の名前が付いた看板がかかっているお店や飲食店がありますが、「こんなものは、全部デタラメだ」と切って捨てた場合には、自分たちが拠(よ)って立つ足場がなくなると思ってよいでしょう。

---owari---
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