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無手勝流の極意とは

2022年04月17日 | 政治・経済
―― 日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載します ――

昔、少年講談全集なんて本がありました。その中にこんな話が載っていました。
渡し船に、自分は剣の名人だと自慢する男が乗って威張りちらすものだから、みんな迷惑に思っていた。その渡し船に爺さんが乗ってきた。

川を渡っていく渡し船の中で、爺さんは黙って座っている。男は爺さんがちっともびくつかないものだから、なんとなく腹が立ってきて、爺さんに勝負しようと言い出した。

爺さんは、平然として「じゃあ、やろう。いつでも勝負するぞ。ただし、船の中ではみんなに迷惑だ。そこに島がある。あの上でやろう」と受けて立った。

男は、「おまえみたいなのは一発でやっつけてやる」と言って、島が近づくとただちにひらりと島に飛び移った。すると爺さんは竿で島をぽんと突いて、男を島に置き去りにしてしまった・・・・・。

実は、爺さんは塚原卜伝というたいそうな剣の達人だったのですが、無手勝流の極意とかで、争わないで勝を収めるのです。いかにも日本人らしい戦い方だと言っていいでしょう。

それに対し、欧米人や中国人は報復をひどく恐れ、皆殺しにするのが一番安心だと考えます。それが彼らの古来からの戦争のやり方だったと言っていいでしょう。

しかし、皆殺しとわかっていたら相手だってとことん抵抗しますから、手間がかかってしょうがない。だから「まあ、このへんでやめようじゃないか。おまえももう、恨みに思わないで」というふうに、戦争がだんだん文明化してきました。

そうなってきたのは、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に行われた三十年戦争からだとされています。

三十年戦争は神聖ローマ帝国内でプロテスタントとカトリックの争いがきっかけで起きた宗教戦争でした。宗教が違うと、神様がもうよしと言うまでやらなきゃいけない。でも神の声は聞こえてこない。その結果、三十年も戦争が続き、村が百ぐらい消えてしまった。つまり、人口が激減したのです。

しかも、そこまでとことんやったのに、結局どちらが勝ったかわからない。そこでさすがにイヤになって、もうこんな戦争はやめようということになった。そこから近代が始まったとも言われています。

この構図は、今の核問題にも通じています。
日本は唯一の核被爆国ですが、米ソはその甚大な被害を見て、もし核戦争が起きたら世界がどうなるかを実感したのです。だから、その後何度かの危機はありましたが、実際には落とさなかった。

その代わり、共産主義の国と自由主義の国という軸を立てて議論してきた。そういう軸を立てて議論すればわかりやすかったんです。

しかし、ソ連が崩壊してイデオロギーの対立がなくなると、今度は国境を超えた経済戦争や金融戦争が始まった。それが今の世界の状況です。そこで日本の無手勝流を活かせる下地が、またできてきました。

---owari---
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