日本史を紐解いていて、最も奇異なことといえば、他民族国家に侵略された経験が一度もないということです。人類の歴史は権力者による領土争奪の歴史といっても過言ではありません。古代から現代に至るまで、国境線はたえず変動している。しかし、日本に限るとそうした経験もなく今日に至っている。極めて特異な歴史といってよいでしょう。
ではなぜ、日本にはそうした歴史がないのか。これにはまず、地理的条件がある。中国大陸から離れた島国であること。そして、大陸からの距離が約200キロメートルと遠距離にあったことです。航海術が未発達な中世期までは、中国大陸から大部隊の軍隊が遠征するには、遠すぎたのです。元寇による危機もあったが、その時は「神風」で切り抜けている。
次に、ヨーロッパから見て極東に位置していることも重要でした。日本はあまりにも遠く、大航海時代当時のヨーロッパにしても、日本にたどり着くことは困難を極めたのです。コロンブスやマゼランも実は日本を目指していたのだが、とうとう訪れることはできなかった。1543年の種子島に漂流したポルトガル船はまったく偶然の日本訪問だったのです。
1639年、徳川家光の鎖国政策によりキリスト教の宗教的支配の道を閉ざしたことも大きい。外国勢力の影響下に置かれる危険もなく、極東の地で独特の文化を形成していったのです。
日本が植民地化の最も危険な時を過ごしたのは、幕末から明治期にかけてです。最初の外国軍艦の到来は1778年のロシアだった。1853年にはアメリカのペリーも軍艦を従え来航する。以降イギリス、フランスら列強が虎視眈々と日本侵出を狙って来訪したのです。
この時代の日本の幸運は、それぞれの諸外国間が対立し、お互いに牽制していたため、特定の国が日本に食い込めなかったということです。また、それぞれが自国内に戦争などの問題を抱え、日本に大きな力を割くことができなかったことも幸いしていた。
アメリカは南北戦争(1861~65)の後遺症にあり、ロシアはクリミア戦争(1853~56)でトルコに敗北していた。フランスはイタリア統一(1861)やメキシコ干渉戦争に忙しく、イギリスはインドのセポイの反乱(1857~59)の対応に追われていたのです。
そして、日本が明治維新で近代国家体制を整えたことも大きい。明治政府は1871年までに国家体制を整えるが、欧米がアジアの植民地侵出を強化するのは、この1870年代のことです。一歩遅れると、本当に危ないところだったのです。この時期、幕府と倒幕派の内戦が長引いていれば、それを機に列強国の植民地にされてしまう可能性は大いにあったのです。
この日本という国は、数々の幸運に助けられ、世界史上稀な歴史を今日まで築いてきたのです。
その陰に、吉田松陰や坂本龍馬、勝海舟、西郷隆盛、そして明治天皇など、幕末・明治の多くの英雄がその時期に存在し、活躍したことが大きいのですが、長きにわたって、最もお働きになったのは、天上界におられる日本の神々だったのではないでしょうか。
---owari---
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