⑪今回は「作家・童門冬二さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
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それでは、秀吉は「創造建設期」を担当して、いったいどんな事業をしたのだろうか。
秀吉の戦争は、よく、
「刀や槍や鉄砲で戦うのではなく、土木建設工事で戦った」
といわれる。秀吉の戦歴は、墨俣城(すのまたじょう)の築城に始まり、やがて鳥取城、高松城、小田原城の城攻め、さらに朝鮮侵略のための名護屋城、大坂城、桃山城などという″城づくり″と密接にからみあっている。
また、秀吉が主導してつくり出した文化は″桃山文化″といわれ、現代にもその遺産が数多く残されている。そして桃山文化を構成しているものは、建造物や、書画の類が多い。これは、秀吉が、信長から引き継いだ、
「新しい価値を生み出す」
という発想の継続である。
すなわち、その柱になったのは、「茶道」だ。信長は、部下に与える土地がそろそろ限界にきたのを悟り、「土地に代わるべき新しい価値」として「茶道」を考えた。この価値の転換、つまり財に見える土地というハードな財から、「茶道の精神」という目に見えないソフトな価値を創造した。そして、これに関する産業を盛りたて、内需を高めた。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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