⑩今回は「作家・童門冬二さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
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豊臣秀吉は天下を取った後に有名な〝刀狩り″を行う。武士以外の者が武器を持つことを許さないという方針で、それまで農民、僧、商人などいろいろな職業を持つ人が刀や槍を持っていたのを、全部取り上げたことである。
秀吉は、「これからの日本は平和になるのだから、日本人同士戦うことはない。そこで持っている武器を差し出せ。鉄を溶かして大きな仏様をつくり、御利益のあるようにしよう」と宣言した。
この武器を溶かしてつくった仏様が京都方広寺の大仏だ。しかし、半分は嘘だ。秀吉が恐れたのは、いつまでも農民や商人やお坊さんに武器を持たせておくと、いつ自分にそむくかわからないからだ。いまのうちにその芽を摘みとってしまおうという狙いだ。
しかし、かれが若くて木下藤吉郎といっていた頃から、秀吉の戦争の仕方は刀や槍ではなかった。かれは城攻めを土木建設事業に変えてしまった。かれが攻め落とした大きな城は、鳥取城、高松城、小田原城などが有名だ。鳥取城を攻めたときは、まわりに櫓をつくって城を囲み、近くを流れている千代川の河口に杭をたくさん打ち込んで、鳥取城内に食糧や武器を運び込めないようにしてしまった。
これは大規模な土木事業である。また自分の陣中には、あちこちから飲食店やプロの女性たちを置く店を呼んで、ドンチャン騒ぎをやらせた。
これにはいくつかの目的がある。一つは城の中にいる将兵に対して、「どうだ? こっちはこんなに楽しいぞ。おまえたちはさぞ苦しかろう」といういやがらせだ。こういうことをやることによって、城の中の将兵たちはどんどん戦う気を失っていく。それにいままで食糧は全部、千代川を通じて舟で運び入れていたから、それが来ない。どんどん食べるものもなくなっていく。鳥取城内では、しまいには馬まで殺して食べたという。
秀吉のもう一つの狙いは、商人を呼び集めたり、土木建設事業を行うことによって、付近に住む商工業者たちに利益をもたらしたことである。戦争で利益を得るのはよくないが、しかし、戦国の世のことだ。いままでこんな大将はいない。たいていが自分の財産を奪ったり、稲を盗んだりする。それが、秀吉はそういうことをせずに、逆に、「俺の合戦を手伝え。費用は払う」といって、土木建設業者たちを呼び集め仕事を与えた。これには、そういう職人たちが喜んだ。
そうなると、これが口コミでどんどん伝わっていく。鳥取城の評判が落ちるのと対照的に、攻める秀吉の評判が高まっていく。いってみれば、「世論」がわいて秀吉を応援しはじめるのだ。これは秀吉独特の経済感覚にもとづいていたといっていいだろう。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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