人びとよ、
次にもまた愚かなる人がいる。
この愚かなる人びとは、
他の人びとの関心を身に引き寄せ、
他の人びとを動揺と混乱に陥れることをもって悦びとしている。
他の人びとの心に毒をまき、
他の人びとの心に焦りを生じさせ、
他の人びとを誘惑の淵に導き、
他の人びとに妄言し、ささやき、そして、
道に精進しようとする者を迷わす者もいる。
このような者も愚かなる人びとである。
我が教えを学ぶ者のなかにも、このような者が出てくることがある。
自分の悟りが進まないがために、
自分が重用されないがために、
同行の士を巻き添えにしようとする者が後を絶たない。
同じく修行の道を歩もうとする他の人の、
その堅実な心を揺さぶろうとし、そして自分の仲間を増やそうとする。
自分と同じく、不平不満を持つ者を増やそうとする者がある。
人びとよ、知れ。
このような心は、このような思いは、このような行動は、
すべて地獄に通じるものであるということを。
地獄には、数多くの亡者たちが生きている。
地獄の亡者たちは、自ら自身が助かろうとはしない。
自ら助かろうとするのではなく、仲間を増やそうとする。
仲間に引き入れようとする。
他の人びとにも同じような苦しみを味わわせ、
他の人びとにも同じような迷いを与え、
他の人びとも同じような欲望の淵に落とすことによって、
自らの苦しみを和らげようとするのだ。
しかし言っておくが、このような行為を続けて、
ほんとうに心が安らぐということは決してない。
そのようなことであってはならない。
自らの苦しみを薄めるために、他の人を用いようとするな。
他の人を仲間にしようとするな。
他の人に愚痴を言おうとするな。
自らの苦しみは、自らひとりにて足れり。
自らの苦しみは、自ら一人にて対決せよ。
自ら一人にて、自ら自身の問題と対決せよ。
それを、他の人と徒党を組み、
共に自己の正当化や合理化に走ってはならない。
ゆめゆめ、そのようなことを、してはならない。
およそ、教えにつき、法を学ぶ者であるならば、
自らの正当性のために、教えを曲げたり、
歪曲したり、間違って伝えたり、
あるいは、人びとを誘惑するようなことをしてはならない。
このようなことは、すべて地獄に通じるものであるということを知れ。
よって、私は言おう。
愚かなる者の最たるものの一つに、
こうした、道に精進する人びとを迷わす人がいるということを。
このような人は、自らが愚かであるということを認識していない。
自らは、愚かであるとは思わない。
自らが正しき者であると思い、賢き者であると思う。
そうして、仏の教えをも、自らの小さな知によって、
曲げ、歪曲し、そうして自らの都合のいいように説明しようとする。
しかし、このような考えが
いかなる罪を生むものであるかということを、
賢き人たちは、知らねばならない。
その底にあるのは欲望である。
その底にあるものは、
法を説く者と同じく、偉い立場に立ちたいという欲望である。
しかし、諸人よ、
よく知りなさい。
人には、それぞれ器というものがあるのだ。
人が人を導くには、順序というものがあるのだ。
永年の転生輪廻の過程において、
魂優れ、実績優れたる者は、
先を歩く者として、後からついてくる者を導くこととなる
しかし、その身拙く、その心拙く、修行十分でない者は、
やはり、今後も引き続き指導を受けねばならないのだ。
こうした立場の違いは、いつの時代にもあるということを知りなさい。
よく学ぶためには、よくわきまえることだ。
よく知るためには、謙虚になることだ。
よく悟るためには、よく自分自身を調律することだ。
それが大事であると思う。
---owari---
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