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石田三成は島左近を全面的に受け入れたとは思えない

2023年10月06日 | 歴史
⑨今回のシリーズは、石田三成についてお伝えします。
三成は巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる知的な武将です。
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「天の時(運)・地の利(条件・状況)・人の和(人間関係)」
である。特に最後の人間関係が大きくものをいう。
「野の遺賢(民間に残っている賢人)」
が、召し出されるのも、
「人を見る目」
を持ったすぐれたトップリーダーがいなければだめだ。

その意味では名軍師も同じだ。軍師が名軍師として活躍できるためには、やはり、この三つが整えられることが必要だ。しかも軍師にとっては、
「登用してくれるトップリーダーが、その三条件を揃えてくれる」
という″場づくり〃が必要だ。これが「あ・うん(あは吐く息、うんは吸う息)の呼吸がぴつたり合う」
ということである。

そう考えると、石田三成と島左近とは、本当に“あ・うんの呼吸”が合っていたのだろうか。どうも、石田三成の自信過剰が、島左近の言ったことを全面的に受け入れたとは思えないような節がいくつかあるのだ。

その意味では、島左近は前に書いた三つの条件をそのまま、
「天の壁・地の壁・人の壁」
という“三つの壁”としてとらえ、その三つの壁を完全に破壊できなかったといっていいだろう。というよりも、石田三成のほうがそういう壁を取り払って、島左近にもっと十分な活躍をさせるだけの器量を欠いていたといっていいかもしれない。そこに、島左近の悲劇性があった。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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