多くの女性なる魂に対して言っておきましょう。
実在界(あの世)にいる最高の女性霊たち、女神たちの姿を見るにつけ、「彼女たちは、地上に生まれ変わってくるとき、男性になろうとはしないだろう」と思うのです。彼女たちが生きている世界の優雅さ、素晴らしさ、美しさは、女性でなければ絶対に味わえません。そういう喜びのなかに彼女たちは生きています。女神たちの輝くばかりの幸福感と喜びを見たときに、彼女たちが地上に出て「男性に取って代わろう」と思うとは、絶対に考えられないのです。
女性霊が、地上に出て、男性と競い合い、「男性を押しのけてでも、しかるべき立場に立ちたい」と思っている姿は、この世的には、優れた女性に見えるかもしれません。しかし、霊的に見れば、それは、「男性霊の下につく」ということになる場合もあるのです。そして、その場合、本来の女性のあり方から見て進化が遅れてしまうのです。
女性霊は、長年の転生の過程で、女性なるものの優美さと素晴らしさ、調和の心、安らぎの心、美しき心を培ってきました。
女性霊が、その進化の過程を捨てて男性原理のなかに入るということは、優れた女性が、男性たちのなかで最も初歩のグループに入るということです。男性たちが、何千年、何万年かかって男性の魂を修行してきた、その途中で入るわけですから、魂の進化において、明らかに遅れてしまうのです。これを注意しておきたいと思います。
私は、決して、女性に「職業を持つな」と言っているのではありません。女性を必要とする仕事は数多くあります。現代の日本では、二十代から五十代前半までの女性の七割以上が何らかの仕事に就いています。(厚生労働省「平成二十七年版働く女性の実情」による)
ただ、「どのような環境にあっても、男女の違いというものを心得て、女性なるものの素晴らしさを最大限に発揮しようとして生きていかなければ、魂的には後退になる」と言っているのです。
女性が男性になろうとしてはいけません。それは魂の後退です。それによって、かなり進んだ女性霊が、魂的には下のほうの男性グループに入ることになるのです。
今世では、それでも成功に見えます。しかし、この世を去ってから大変なことになります。「大いなる後退だった」ということに気がつくのです。
また、女性が男性化する社会は、同時に男性が女性化する社会でもあります。先進国と言われる社会のなかで、その現象が現れています。それも、やはり退化なのです。魂が退化してきているのです。
流行にとらわれて、そのなかに呑み込まれ、それに惹きつけられるようであってはなりません。それは真なる自由ではなく堕落の自由なのです。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます