先日行われた石垣島トライアスロンのスイムで死亡事故が起きました。
スイムコース上のロープにつかまり、うつ伏せの状態で発見され、搬送されましたが、心肺停止で亡くなられました。
当日、大会側は150人体勢でスイムの監視にあたっていました。水上バイクにダイバー、そして陸から・・・大会側は「十分な監視体制」と言っておりますが、果たして十分だったのでしょうか?
ライフセーバー経験者、そして大会会場となった登野城漁港を泳いだことのある者として言わせていただくと・・・確かに、「数」は十分、多いに越したことは無い。しかし、そこにライフセーバーやオーシャンスイム経験者を入れなければ、いくら数を準備したところで「不十分」なんです。
確かに、ダイバーは、海上からスイマー目線で、また、いざ、何かあればすぐに潜って確認、救助できます。しかし、海を泳いでいる者が、いま現在、どのような心理状態にあるか、また、どういう時が、場所が「危険」なのか・・・を察知するのはダイバーではなく、ライフセーバーなのです。
餅は餅屋に作らせろ・・・というコトバがあるとおり、ケーキ屋に餅を作らせるより、餅屋に餅を作らせる方がはるかに効率的で速いのです。
地域によっては、消防団などの地元の結束が固く、なかなかよそ者のライフセーバーが入り込む余地が無い場合があります。
理想は・・・陸で待機している者がコントローラーになり、全般を指揮する、ボートや水上バイクを沖に停泊させ、いざとなったら、すぐ、かけつけ溺者を搬送する・・・ダイバーは行方不明者の捜索をするとともに、ライフセーバーと連携し、特に「死角」となるようなポイントの海上内で待機する、そしてライフセーバーはスイマーとともに、彼らの邪魔にならぬよう、レスキューボードでスイマー目線で海上をパトロールしながら監視する・・・です。
これらのチームの連携がとれて初めて「万全の監視体制」になるのです。
周囲を海に囲まれたニッポンですが、ライフセーバーが公務員として認められているハワイや、幼少期から地元のライフセービングクラブに入り、海に慣れ親しんでいるオーストラリアとは違って、まだまだ海の安全面では「後進国」である、ということをあらためて知らされました。
スイムコース上のロープにつかまり、うつ伏せの状態で発見され、搬送されましたが、心肺停止で亡くなられました。
当日、大会側は150人体勢でスイムの監視にあたっていました。水上バイクにダイバー、そして陸から・・・大会側は「十分な監視体制」と言っておりますが、果たして十分だったのでしょうか?
ライフセーバー経験者、そして大会会場となった登野城漁港を泳いだことのある者として言わせていただくと・・・確かに、「数」は十分、多いに越したことは無い。しかし、そこにライフセーバーやオーシャンスイム経験者を入れなければ、いくら数を準備したところで「不十分」なんです。
確かに、ダイバーは、海上からスイマー目線で、また、いざ、何かあればすぐに潜って確認、救助できます。しかし、海を泳いでいる者が、いま現在、どのような心理状態にあるか、また、どういう時が、場所が「危険」なのか・・・を察知するのはダイバーではなく、ライフセーバーなのです。
餅は餅屋に作らせろ・・・というコトバがあるとおり、ケーキ屋に餅を作らせるより、餅屋に餅を作らせる方がはるかに効率的で速いのです。
地域によっては、消防団などの地元の結束が固く、なかなかよそ者のライフセーバーが入り込む余地が無い場合があります。
理想は・・・陸で待機している者がコントローラーになり、全般を指揮する、ボートや水上バイクを沖に停泊させ、いざとなったら、すぐ、かけつけ溺者を搬送する・・・ダイバーは行方不明者の捜索をするとともに、ライフセーバーと連携し、特に「死角」となるようなポイントの海上内で待機する、そしてライフセーバーはスイマーとともに、彼らの邪魔にならぬよう、レスキューボードでスイマー目線で海上をパトロールしながら監視する・・・です。
これらのチームの連携がとれて初めて「万全の監視体制」になるのです。
周囲を海に囲まれたニッポンですが、ライフセーバーが公務員として認められているハワイや、幼少期から地元のライフセービングクラブに入り、海に慣れ親しんでいるオーストラリアとは違って、まだまだ海の安全面では「後進国」である、ということをあらためて知らされました。