アタマで考える正しさよりも、
ココロで感じる美しさを。
最近、コンプライアンス/インテグリティ関係の仕事でも、そんなことをよく言う。
執筆中の、『インテグリティ』第二弾の大きなテーマでもある。
美しく生きる、その実践の工夫を、紹介します。
昨日、赤坂のドトールで、週末恒例の読書・勉強をしていたら、誰かが、けたたましく、iPhone のアラームを鳴らし続けている。
集中できない。気が散る。
注意しようと思うんですが、離席してるのかな、、トイレに行っているのかな、、、いろいろ考えちゃう。
それで我慢して、3分くらい。店内中に、かなり音量の大きい(マックス?)、iPhone のアラームが、ずぅーっと、断続的に、ピロピロと。
柱で隠れていたので、音源のあたりに誰が座っているのか、私からは見えない。
いずれにせよ、不快極まりない。
近くに座っている女性も、迷惑そうにしている。
店員さんも、気にして、足を音源方面に向けたけど、踵を返した。ん?
なぜ誰も注意しない。
耐えられず、私が席を立ち、音源に近寄って、端末のセキュリティ解除する必要があるかどうかとかわからないけど、アラームは止められるかな、止めようかな、と思って近づくと、、、
人がいる⁉️
私は咄嗟に、
うるさいっすよ、何やってんの?止めてよ。
って口に出た。その男性は、私の声を聞くや否や、申し訳なさそうに、すぐアラームを消した。
一件落着。
でも、我ながら感情的に、品のない表現をしてしまったな、と思った。
だから正確に、一字一句、メモった(弁護士ということもあり、自分が何を言ったかを一言一句違わずにメモすることは得意)。
カフェでアラームをけたたましく鳴らせ続ける人がいるのには驚きましたが、でも、私が感情的になってしまったことには、反省。
ーーーーーー
待たなきゃよかった。
3分も待ったから、感情的になった。
1分のところで、この男性と話していれば、そこまで感情的になることはなかったはず。
あんなうるさいアラームを3分も鳴らせ続ける、、、あの方は聴覚障害者だったのかもしれない。
咄嗟のあの状況では、そこまで思いが至らなかったけれども。
- 待たずに
- サッサと
- 突っ込む。
この「ま・さ・つ」を恐れない、と自分で言っておきながら、忖度・遠慮して、突っ込むのに3分もかかってしまった。
違和感は早急にシェアすべき。
これが、感情的にならず、冷静で品のいい言動をするコツだと、改めて学びました。
日々の言動を、少しでも美しくする。これ以上美しくできないかを常に考える。
正しく生きるのは、簡単。
マナー悪い人に注意するのは、正しい。
美しく生きるのは、難しい。
マナー悪い人に注意するのにも、品位を持たねばならぬ。
この「正しさ/美しさ」の関係って、「コンプライアンス/インテグリティ」の関係と全く同じ。
正しさを超えて、美しさを。
コンプライアンスを超えて、インテグリティを。
美しさも、インテグリティも、遠くにある完全に向けて、エンドレスに努力する営み。
美しさもインテグリティも、崇高(sublime)を希求する。永遠に謙虚に憧れ続ける。求め続ける。
そんな「美しさ」の実践の具体例の一つとして、記録しておきます。