アメリカの歴史的な神学者・ラインホールド・ニーバーを深堀りしていたら、「神の弱さは人間よりも強い」って言葉に出逢った。
意味がわからないのでChatGPTに訊いたら:
~~~以下引用~~~
「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の神学的思想に関連しています。
これは、ニーバーが神の性質を理解する際に強調した「逆説的な力」の概念を表現しています。特に、キリスト教の神学と倫理における**「力と弱さ」**の関係を説明するために用いられることがあります。
この言葉の意味を理解するためには、以下の点に注目する必要があります:
1. 神の力と弱さの逆説
「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、神が全能でありながらも、私たちが通常想像するような支配的な力を行使しないという逆説を表しています。
キリスト教の教えによると、神は人間に対して無限の力を持っており、すべてを支配する存在です。しかし、この力がどのように現れるかは、私たちの人間的な理解を超えています。
神が「弱い」とされるのは、例えばイエス・キリストの生涯に見られるように、神が自らを人間の弱さや苦しみに参加させ、権力を行使せず、謙遜と犠牲の中で愛を示すという面です。
このような神の姿勢は、物理的・政治的な力を使うことなく、最も深い形で人々を変え、救いに導く強さを持つという理解に基づいています。
2. 十字架の逆説
キリスト教の中心的な教義である「十字架の死」も、この「神の弱さ」と「人間の強さ」の逆説的な関係を象徴しています。
イエス・キリストが十字架にかかって死ぬことは、当時の目から見ると敗北や弱さの象徴です。
しかし、キリスト教徒にとって、十字架は「神の力」が最も強く現れた瞬間であり、神の愛と犠牲によって人間を救う力を示しています。
すなわち、神が弱さを選び取ることによって、最も強い力が発揮されるという逆説です。
3. ニーバーの倫理と神学
ニーバーは、人間が持つ倫理的な限界や自己中心的な傾向に対して非常に現実的な視点を持っていましたが、同時に「神の弱さ」という概念を通じて、道徳的な力や愛が人間の限界を超えることを示しました。
ニーバーにとって、神の「弱さ」は、力を誇示することなく人々を導く愛や犠牲の力であり、これは人間の力による支配や暴力とは本質的に異なります。
4. 人間と神の関係
この言葉が示すもう一つの重要な側面は、人間が持つ力の限界と、神が示す愛と憐れみの力の違いです。
人間の力はしばしば自己中心的で暴力的な方向に向かいがちですが、神の力は愛と赦しに基づいており、その「弱さ」が人間を変える力となります。
まとめ
「神の弱さは人間よりも強い」という言葉は、神の力の本質を表現したもので、神が力を行使する方法が私たちの常識に反しているという逆説的な教義を表しています。
神は物理的・政治的な支配を通じて力を示すのではなく、謙遜と犠牲の中で愛を示すことによって、人間に真の変革と救済をもたらすのです。
この「弱さ」は、実は最も深い強さであり、人間の力では到底成し得ないものです。
~~~引用終わり~~~
いいですね。God works in mysterious ways と同じですね。
ってか、コリント人への手紙1の1:25にまんまあるんですね。
the foolishness of God is wiser than human wisdom,
and the weakness of God is stronger than human strength
天を怨まず、人を咎めず。
どんな運命に遭っても、それが神のご意思だと思って、なにか意味があるんだと思って、それを受け止めて、前に進んで行かねばですね。